当事者インタビュー - actual story -

私の資料で変わってきた職場 保険会社勤務Aさんの場合

50代女性
保険会社勤務

通勤途中の事故で高次脳機能障害と失語症になったAさん。管理職として努力を重ねてきた会社に、配置転換ののちに復職。しかし、コミュニケーションの困難さと周囲の理解の乏しさ、これまでのキャリアとのギャップに対する心理的葛藤など、様々な苦労をします。全力で働けなくてもいいではないか、誰もが働きやすい職場になってほしい、そんな思いで、長年かけて職場との交渉を重ねてきました。

まとめ

  • 簡単にできると思っていたことが、ことごとくできない!
  • 自宅のパソコンは使えても職場のパソコンをマニュアル通りに使うのが難しい
    「資料の何ページ」と言われても、そこが探せない
    朝礼や会議の申し送りが、聞き漏れたり、聞き間違えたりする
  • 頭が疲れて1日の仕事がもたない
  • お昼休みまでに脳が疲れてしまい、ぼーっとしてしまう
    気持ちは焦っているのだけど、頭がついてこない
  • 誰よりも会社に貢献したいと願っているのに、空回り
  • 自分でできる仕事を探して提案するも、「それはいらない」と言われる
    今の私だからこそできることがあると思っているが、認めてもらえない
  • 周囲の無理解、無関心に心が折れる
  • 言葉が不自由だと、知的に低下した人と思われて、悔しい
    一生懸命に話を聞いていても、「ちゃんと聞いてますか?」と言われ、傷つく
    つい「以前の私なら」と思ってしまう

専門家による寸評

言語聴覚士西村 紀子

 失語症は、脳を損傷したことによって「聞く」「話す」「読む」「書く」そして「計算」が難しくなる障害である。こうした定義は、私たち医療職は当然知っている。しかし、結局、本人は生活の中で、何に困るだろう、家族や知人とのコミュニケーションが難しくなると、一体何に困るのだろうと、本気で考えたことがあるのだろうか。
 SLTA(標準失語症検査)のみで評価をしている言語聴覚士は、ぜひ、考えてほしい。そしてAさんが回復期で言われた「テキストも終わったし、やることがありません」というレベルの考えは、ぜひ改めてほしいところ。テキストなんて、いかに日常生活とかけ離れているか、想像してみてほしい。
 失語症は孤独病と言われる。Aさんは、急性期病院では自分の子どもの名前も言えなかった。けれども、長期にわたり回復し、現在は簡単な会話は問題ない。
 通院や役所に行くことなども全て一人でこなし、復職も実現。当事者の会を企画し、運営している。先日はあるシンポジウムで、当事者代表として「失語症者の気持ち」について話をしました。そこまで回復した彼女を悩ませるのは、職場の人、友人、家族との「雑談」。一対一なら話ができる。でも複数の人が一緒にいると、一体誰が誰に話しているのか、今、何で盛り上がっているのか、分からなくなる。何か言いたい時、言葉がすっと出てこないので、機会を逃してしまう。
 業務の報告や連絡はできる、つまり用件は言えても、雑談ができないことで、彼女は非常に孤独感を感じていた。ちょっとした雑談は、人間関係の潤滑油のようなもの。「人はパンのみに生きるにあらず」ではないが、コミュニケーションも機能的なものだけでないはず。ちょっとした雑談、それができない、みんなで盛り上がってる中に入れない、そうした孤独感に、私たちはもっと寄り添いたいと思う。
 先日、浮田弘美先生のセミナーで、こうした当事者のお悩みに対して、「話すことだけが会話ではない。相槌を打ったり、関心を持って横にいるだけでも輪に入っている。いつか話のターンが回ってくるかもしれません。それから世の中の情報にアンテナを張っておくといいですよ。理解しやすくなります。」とアドバイスされていた。
 機能改善は難しいとしても、輪に入れないと悩んでいる当事者の方に、「こういう形でも会話の輪に入っていることですよ」と、リフレーミングをするのも、大事な私たちの仕事だ。

取材から見える事

文筆業鈴木 大介

鈴木 大介

 Aさんのお仕事の中で抱えたジレンマは、高次脳機能障害が「回復するタイプの脳機能障害」だからこそのものであり、特にキャリア形成後の当事者には大きく共通するものに感じます。
 復職間もない当事者が最も感じるのは「こんなこともできなくなっているんだ」という驚きとジレンマですが、その後なぜできないのか、どのようにすればできるのかといった考察を重ね、仕事に戻る中で、働くことそのものがリハビリになって、実際にやれることも増えてきます。
 ところがそこで、働き慣れた体と脳は「もっともっと病前通り」を求めて勝手に暴走しだし、あっという間に自身のペースを見失ってしまう。Aさんの言葉では「元の仕事をする感覚が戻って血が騒ぐ」とありましたが、まさにその感覚はこれまでヒアリングに協力してくださった幾人もの方が別々の言葉で訴えてくださったものでしょう。
 けれど、実際には脳はそのモチベーションにはついて来れず、「なんでこんなすぐに疲れて、使い物にならなくなってしまうのか」と自分を追い込んだ結果、自分自身が自分に休むことを許せなくなることがあります。やれると思って請けた仕事がやりきれずに終わらず、地獄を見ることも……。
 これは、当事者が復職と回復の中で陥る、第二のジレンマではないかと思います。こうなるともう、これもAさんのお言葉通り、仕事が終わった時点でもう息をするのも精一杯という状況。しかももう脳が働かない状況でやる仕事の多くは、堂々巡りで同じことを繰り返してしまったり、普段問題なくやれている作業に何倍もの時間をかけてしまったり、もうやらなくなったはずのミスも再発したり……。結局淡々と可能な分量の仕事をこなす方が、よほど効率が良いということになってしまうのです。
 これは、病前に働いていたときの勢いが「慣性の法則」で当事者の中に残っているような感覚。周囲から見ていると単に空回りしているとか、勝手に追い込まれて自爆しているようにしか思えないのでしょうが、せっかく仕事に戻れているように見えても当事者が自身を追い込みまくった結果、自身で二次障害を作り上げてしまっては、元も子もありません。
 長年働き続けた人間とっては「頑張るのをやめることが難しい」のもまた障害特性の一つと捉え、周囲も暴走する当事者のペース配分に協力してほしい。これはかなり難しい課題にも感じますが、高次脳機能障害の当事者が働く上で、周囲に改めてお願いしたいことの一つです。

インタビュー記事

復職以外は考えなかった

 新卒で就職してから、三人のお子さんの出産育児を挟みながらも、ずっと同じ大手保険会社で働いてきたAさん。内勤営業を皮切りに、総務、健保や雇用保険関連の手続きから窓口業務、そして本部社員として新入社員の研修資料作りや研修講師等々と、多部署で経験を重ねてきました。ベテランの域に達してからは、近隣支社で人材が不足すれば、出張で応援に飛び回るといった生活をしていた時期もありました。


 事故に遭われたのは、それまで所属していた保険支払い業務からコールセンターの主任に移動し、一年を経過したころのことだったと言います。


「とても多忙な現場だったので、病院で気づいた瞬間にも、『あれとあれとあれの仕事はどうなってる!?』と。緊急の仕事がいくつかあったし、しかも年度替わりのタイミングで役職者がこんなんなるなんて、ごめんなさい~という感情が一番。当然、仕事に戻る気満々でした」


 入院は急性期に一カ月半、リハ病院に六カ月。当初はご家族が「まるで赤ちゃんのようだった」「言っていることを当てるのがクイズ状態」と後に言うような失語症状で、大事に考えてつけたはずのお子さんの名前がすぐに出てこないといった経験もされましたが、リハビリ生活の中、ご自身の中では徐々に「自分の中では、今の会社しかない」と、元いた職場への復職を強く望まれるようになったそうです。


 「周りの人には、そこまでして働く必要はないんじゃない? と言われたし、最初はなんとなく、イメージ的に会社辞めてもスーパーとかでパートみたいにして働けばいいやという気持ちがあった。けど、なかなかうまく話せるようにならないし、その状態だと逆に他の職場では気楽に働けるところがないんじゃないかという気持ちになって。それで、自分がやってきた経験を評価してくれる会社に戻る方が、自分はまだ社会と関わっていられるのかなと思った。ただ、病前の仕事は厳しいかな、さすがに管理職は難しいだろうから、書類を扱うような仕事ならなんとかできるんじゃないかなと思っていたんです」


 保険業界と言えば、まず思い浮かぶのはまず女性の従業員比率が多く働きやすいと言われていること。そして、他の業界に比べても障害理解は格段に進んでいそうな印象。では実際、Aさんの復職経緯はどんなものになったのでしょうか。


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