当事者インタビュー - actual story -

不自由への対策が自社商品に 社会保険労務士 Yさんの場合

40代男性
社会保険労務士

信号無視の車に巻き込まれ脳にダメージを受けたYさん。ようやく仕事が軌道に乗り出した矢先のことでした。「障害が残る」と言われず「いろんなことが変わるけど、それは脳が回復している証拠、心配しなくていいよ」と説明した主治医の言葉が、その後の彼を救います。

まとめ

  • 衝動的に湧き上がる怒り
  • ちょっとしたきっかけで怒りが湧き上がる
    抑えようにも抑えきれない
    コントロールするのに、人の何倍も努力する
  • 音にめちゃくちゃ過敏になった
  • 好きだった音楽が嫌い、あの人の声がとにかく嫌いというのも
    窓の外の車の音、救急車の音は、未だに心が乱れる
    心地よい音は逆に病みつき、好きで好きでたまらない
  • 記憶ができない、段取りができない
  • 今、どんなプロジェクトが進んでいるか把握できない
    人の名前、約束、過去の出来事、とにかく忘れる
  • これまでの自分と明らかに違う
  • 味覚も、好みの音楽も変わった
    得意だった論理的思考が、苦手になった
    やばい、これはなんとかしなくてはと心だけ焦る
    取引先に対して、隠す、ごまかすのに必死

専門家による寸評

言語聴覚士西村 紀子

 かつて重度の高次脳機能障害者を介護している家族さんに、「私たち医療者に何を望みますか?」と聞いたことがあります。答えは「希望を持たせてほしい」でした。今回の取材で、心にぐっと来たのは「希望をつなぐ」ことの大切さです。高次脳機能障害とは聞いていなかったYさんは、未診断と言えるかもしれません。主治医から言われたのは「脳は回復していくんだよ。脳の他の部分が代償していくから。できていたことができなくなる、できなかったことができるようになる、どれも治っている証拠」という言葉でした。これを聞いたYさんは、「左の脳がダメになったから、右の脳を鍛えたらいいのか」と、右脳の活用を意識し始めます。
 もし「障害が残ったよ」とだけと言われていたら、落ち込んで、何も手につかなかっただろうとも言います。「あれは未診断でなく、後遺症があると知っていて、うまく導いてくれたのだ」と。同じ症状を伝えるにも、どのような言葉を使うかが、どれだけ重要か、お話を聞きながら感じました。医療職は、予後予測という名前のもと「ここまでしか回復しません」と宣言してしまいがち。発症、受傷してたかだか数日の急性期の段階で「復職できませんよ」と言われ、ショックのあまりご飯も食べなくなった患者さんの話を、少なからず聞きます。これではリハビリどころではありません。脳が自然回復する時期にも関わらず、甚だしい機会損失です。希望を与えることがもたらす力について、今一度考えたいと思いました。
 そして右脳を鍛えることで「頭の使い方が変わった」というYさん。受傷前はロジカルな思考が得意であったけれども、今はアイデアがひらめくようになった。記憶もイメージを使って記憶する癖がついた。低下した機能の回復を図る、代償手段を獲得するとは少し違う視点が興味深かったです。できなくなったことを直視するのは、精神面でも負担が大きいです。「できないことに否が応でも直面することになる」リハビリの辛さはよく聞きます。しかし、損傷していない、低下していない機能を鍛えるというのは、モチベーションも上がりそうです。夢中になりやすく、リハビリにもなりそうなゲームアプリなども、これだけ手ごろなものがたくさんあるのだから、もっと活用したいものですね。

取材から見える事

文筆業鈴木 大介

鈴木 大介

 お話を伺った後、つくづく考え込んでしまうテーマの多い、Yさんのケースでした。
 まず浮かぶのは、Yさんが受傷時に高次脳機能障害の診断を受けて復職に際しての支援職の指導を十分に受けられていたら、「いまのYさん」になっているだろうか?という問いです。
 記憶面や遂行機能に不自由を抱えるYさんに対して、マルチタスクを可能とするような基本的な工夫を伝えることは可能だったかもしれません。けれど、社労士事務所の仕事上で具体的にどのように工夫をしていくのかについては、乱暴に言ってしまえば「支援者も社労士」でなければ無理にも思えます。
 結局Yさんは指導や支援を得られない中で解決を重ねていきましたが、その工夫が長じて自社の商品に転じていくようなプロセスは、Yさんと周囲の社労士スタッフが非常に高い次元で協力し合ったからこそできたこと。
 当然そこには七転八倒の何年間かがあったわけですが、結果として得られたものが、お仕着せの支援の延長線上にはない「とても豊かな結果」に思えてならないのです。
 思えば僕自身にしても、僕の抱える特性が執筆業という仕事の中でどう障害化し、どう対策すればいいかという点について、真の理解と解決の模索は、自分と担当編集者との共同作業の中で進めたもの。結果が豊かなものだったかはわかりませんが、お力を下さった支援職の方々も業務上のディテールまでは介入できなかったように思います。
 もちろん、きちんと診断と支援があれば、Yさんも無駄に苦しまずに済んだのは間違いありません。特に易怒性などについては、大きな自己否定や自罰感情、ひいては二次障害につながりかねないものですから、それが自分のせいではなく障害特性であることを知っているのと知らないのとでは全然違います。
 けれど、そのお仕事に専門性が高ければ高いほど、当事者の自助努力に任せることによるメリットというものがあるのではないか?であれば、支援職のやれることは、その手が届くうちに「その後の当事者が自助努力を最大限に行うための下地作り」に感じます。Yさんのケースを題材に、個々の機能回復を目指すリハビリに加えて、この「自助努力の支援」という視座について考えていただきたく思うのでした。

インタビュー記事

仕事を失いたくないと焦った

 社労士(社会保険労務士)とは、社会保険や労働関連の法律の専門家。Yさんは、資格を取得後、いわゆる社労士事務所に所属するのではなく、友人の社労士と共に自分たちの社労士事務所を起業。交通事故で高次脳機能障害の当事者となったのは、独立から2年、ようやく仕事が軌道に乗り始めた時期のことでした。


「ようやく顧問先が4件ぐらいできたのに加え、やっと安定した大口の仕事として労務士関係のセミナー事業を依頼されて立ち上げたばかりというタイミングでの事故でした。なので当時はとにかく、事故に遭ったことをひた隠しにしなければならない、この仕事を失うというのは考えられない、『これはしまった!!』と思いました。どうやってこれをごまかそう?バレたらまずい! という焦りが一番だった」


 社労士としてのキャリアは始まったばかり。しかも友人と二人で経営する個人事務所で、確かにこれは大ピンチ。時代はIT導入以前で、顧客に呼ばれたらすぐに訪問し、手続き業務などを受けて役所に走るといったフットワークが前提だった頃です。入院していることを知られるだけでも、せっかく開拓した顧客を失いかねない状況の中、Yさんの復帰への道は始まりました。


「その時点では、自身に後遺症があるというのは分かっていなかったんです。けれど、入院中の段階から、ヤバいという感覚はありました。例えば、特定の声質の人の声で、猛烈に感情が乱されて、衝動的になって抑えられない。他に、病棟で渡されたアンケートに記入して、あとで見ると『あれ? 俺こんなこと書いたん?』となる。全然間違ったことを書いていて『なんでこんなこと書いてるんだろう』ってなることもありました。また、文章を読もうとしても、焦点が合いにくいというか、一つの行に集中するのが難しくて、パって頭の中の思考が飛んでしまうような……。物事がうまく記憶できない、仕事が遅くなる、作業がとまる等々、能力がどのぐらい低下しているか分からないけれど、顧客にバレるバレない以前に『これは業務に差し障りがある。何か能力開発的なことで対策しないと』みたいなことを思ってました」


 とはいえ、関わった医療機関からは「高次脳機能障害」の診断はなし。リハビリテーション指導も一切受けずに、退院と復職に至ったYさんですが、こうした自身の不安から、病棟にいる段階で、すでに自主的なリハビリに入っていました。


「携帯電話に入れるゲームアプリで、子供向けの脳トレを目的としたゲームを始めたんです。入院中から2年ぐらいの間、暇があったらやっていた。フラッシュカードとか、数字や映像を憶えることを繰り返すもの。記憶については、病棟にいる時にマインドマップ*1の本を読んで、忘れてはいけないことをできるだけ端的にノートに書くことを始めました。僕にとってはノートが脳みそ、ノートが記憶。端的な単語でキーワードだけでも書き残しておけば、人間はそれをとっかかりに記憶が思い出せるんだと知って、本当に救われました。これは退院後にもセミナーを二回ぐらい受けに行って、形を変えながら今に至るまで16年間続けています」


 こうしてYさんは、事故から二か月ほどで、基本的には自助努力のみの状態で復職します。事務所は病前通り、一緒に起業した友人の自宅の一室、業務は10時から19時、いきなりのフルタイム復帰でしたが、顧問企業への対応は友人が代行してくれ、Yさんが中心になって立ち上げたセミナー業務についても。講師業務は幾人もの講師に頼むことができたため、それほど大きな失敗経験をすることもなかったとYさんは言います。


「友人がたくさん仕事の肩代わりをしてくれたし、顧問先企業もまだ少なかったのが幸いしました。実際にはその後、たくさんの人に迷惑をかけ、支えられていくことになるんですが、当時は、そもそも自分に障害があるとは思っていないし、仕事のスキル的な部分にものすごく限定的な問題があると感じていたに過ぎないんです」


 実際にYさんが自らの障害特性に困難を感じだしたのは、再開した事業も軌道に乗り、従業員も増え始めてからのことでした。


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