当事者インタビュー - actual story -

病前の私とは違う、違うんです。 国立開発研究法人 石崎さんの場合

20代女性
会社員

発症当時は、原疾患の診断さえつかなかった。病気が治れば、これまでの生活ができると思っていた。なぜこんなことができないのか?就労の場で傷つき、もがき、ようやく高次脳機能障害診断がついた石﨑さん。今は障害者枠でお仕事されています。未診断の問題について考えて頂きたい。

まとめ

  • 何でできない? できるはずなのに…と思っていた。
  • 簡単な入力や書類整理といった事務作業や、お茶出しやお花の水やり等もできないと言われる。これまではもっと難しい仕事だってこなしていたのに…
  • 覚えられない。すぐ忘れる。
  • 資料を読んでも数行前が思い出せない。名前を聞いてもその場で忘れてしまう。会話の最中に何の話をしていたのかわからなくなる。相手が覚えていることを覚えていないので人と話すのが怖い。以前は人と話すことが得意だったのに…
  • やる気が出ない!
  • 以前の私はガッツがあったのに、今はできないことだらけ。
  • 本当の私って??
  • 病前の自分のことは覚えている。あんなこともできていた、あれが得意だった、そんなことは覚えている。この落差が悔しい。以前の私はこうだったと思うと、今の自分を認めたくないし、周囲からこういう人と思われたくない。
  • そうだったんだ!と納得
  • 高次脳機能障害と診断され、私が悪いわけではないのだと心底から楽になった。努力すれば元に戻るかもしれない、戻れないなら努力が足りないんじゃないかって思っていたけど、そうじゃなかったんだ…。

専門家による寸評

臨床心理士山口 加代子

石崎さんのお話を伺い、何故、2か所のリハビリテーション病院で「高次脳機能障害だ」と告げられなかったのだろうという疑問が生じました。急性期にかかった病院や抗DNMA受容体脳炎の治療でかかった病院で告げられなかったのはまだしも、その後入院・通院した病院は2か所とも高次脳機能障害のリハビリテーションで有名な病院なのに……。いろいろ考え、2か所の病院とも抗DNMA受容体脳炎が他の脳炎と異なり「予後良好なケースが多い」ということをご存じだったからこそお伝えにならなかったのかなと思いました。しかし、そのことが石崎さんにとってどうだったのか……。

自分に何が起こっているかの説明がないままお仕事に就かれる中で、うまくいかない、できないことを責められる、自分がめざしていた仕事ができないと、自分の変化に気付かされる日々。でもそれが何故なのかわからずイライラされ、ご家族にぶつけてしまう……。高次脳機能障害について知らされないことで、こんな辛い思いをされた……。

臨床心理士として思うのは、高次脳機能障害のリハビリテーションは、注意のリハとか記憶のリハといった要素的なリハビリテーションではなく、自分の変化に気付き、その変化を理解し、その変化への対応を学ぶことが含まれるべきだということです。

高次脳機能障害は注意障害、記憶障害、遂行機能障害、社会的行動障害のことではありません。それらの認知・行動障害によって「社会生活に支障が生じる」障害です。つまり、病院では症状が目立たなくても、社会に出てから問題が生じる障害です。なので、社会、特にお仕事をされる年代の方たちには、お仕事に就いた時にどんなことが苦手になるのか、それに対する対応も含んだリハビリテーションが必要だと思います。

ただ、当事者はなかなかご自分の状態に気付きにくく、また気付いたとしても受け入れがたい気持ちも生じます。なので、全てをお伝え出来なくても、「お仕事に就いたらこういうことが生じるかもしれない。それはこういう症状が残っているから。その際にはこういう対応が考えられる」という内容を記載した紙面を渡しながら説明できるとよいと思います。そのためには、その前から症状の説明や対応方法の共有、伝える側との信頼関係が必須です。
さらに、実際にお仕事に就いてうまく行かなかった時に、改めてリハビリテーションスタッフが関われる仕組み、そしてその中に自分の変化に気付くことで生じる混乱や不安、抑うつといった心理面へのケアに対応する心理職がいることが必要だと思います。

取材から見える事

文筆業鈴木 大介

鈴木 大介

インタビュー本文にもありますが、石崎さんのお話を聞いて最も意外に感じたのは、病前に長年学んだ英語力を使った仕事ができなくなってしまったことや、お仕事の場で心無い言葉をかけられたり失敗を重ねてし待ったことよりも「病前のコミュニケーション力」を失ったこと石崎さんにとって最も残念に思っているということでした。

「(かつての自分とは)違う、違いますよね。病前の私は、お話をするのが得意。好きだったと思います。普通に電話とかでも2~3時間友達と話したりとか、仕事が終わってからも友達と飲みに行ったりで、手帳のスケジュールも毎日いっぱいだったんです。それが今は何も書いてない状態。ちょっと前までは人と会うのも嫌。とにかく話さなくていいような方法を考えていました。英語についても、英語自体を忘れたということよりも、病前の外国の友達とうまくコミュニケーションが取れなくなったのが悔しい。大事な友達がいたので。仕事のキャリアというより、私としてはそれが一番悔しいんです」

 今回の聞き取りの中で、石崎さんの言葉に一番熱量が入ったシーンでした。

 とはいえ、石崎さんがこんな悔しさを感じていることを想像することは、特に病後に初めて石崎さんを知るようになった者には、かなり困難でしょう。なぜなら現在の石崎さんは、常ににこやかで相手の話に真剣に耳を傾ける姿勢があり、言葉も穏やかで的確で、むしろ「コミュニケーションが良好で初対面の人にも良い印象を与えるタイプ」に見えるから。

 実は僕自身も、病前通りのコミュニケーション力がないことに大きな喪失感を感じています。知っていただきたいのは、日本語を理解し話せることと、本人が思い通りのコミュニケーションを取れていると感じるかは、全くの別物だということです。

 高次脳機能障害の支援では、障害によって機能が「一般平均と比較して」問題ないかどうかではなく「病前能力と比較すること」が大事と言われてはいますが、ここに加えて当事者が「病前の自己イメージとのギャップ」をどう感じているのかも、重視してほしいところ。当事者にとってコミュニケーション力を失うことは、身体の一部を欠損するのと同様、もしくはそれ以上の不自由感を伴うことを、ご理解いただきたいと思います。

インタビュー記事

【診断を受けて嬉しい】

抗NMDA受容体脳炎というという大変珍しく重篤でもある原疾患で、9か月もの間、高熱とたびたび起こる痙攣の発作の中で意識のない状態が続いた石崎さん。ですが、後遺症として高次脳機能障害が残っていることの診断が下りたのは、発症から4年8カ月も経った後のことでした。

「診断を受けて、少しどころじゃなく、ほっとしました。嬉しかったですね。あ、これだからできなかったんだ やっぱり、私には何かあったんだって、そんな気持ちでした。診断受けるまでは、できないことが障害のせいだとは思っていなかったんです。病後受けたリハビリテーションの中で、『社会生活に戻ることが一番のリハビリなんです』とよく言われていたので、そうするしかないと思って頑張ってきて、努力すれば元に戻るかもしれない、戻れないなら努力が足りないんじゃないかって思っていたので……」

石崎さんがそう言うのは、彼女が病後に再び仕事をするようになってから、診断を受けるまでに丸3年もの間、いくつもの仕事に挑戦する中で、とてもつらい経験を重ねられたからです。


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