当事者インタビュー - actual story -

なんで言ってくれなかったんだ!? 看板製作業 稲森さんの場合

50代男性
看板製作業

脳出血の後遺症は麻痺だけだと、自分も家族も思っていた稲森さん。しかし、退院後、大事な家族にだけ暴言・暴行を起こしてしまい、家庭が破綻。混乱の中、自分で調べに調べて社会的行動障害という、高次脳機能障害を知る。「病院は、なぜこんな障害があると言ってくれなかったか!」という怒りと哀しみに震える数年。しかし、この間、仕事では、まったく問題がなかったといいます。感情の爆発は、アイデンティティーに関わる場面でしか生じないものかもしれません。

まとめ

  • 未診断
  • ・陳旧性のラクナ梗塞があった、脳出血にもなった、しかし後遺症としては片麻痺のことしか聞いていない
    ・麻痺も高次脳機能障害もあるのに、治ったでしょと言われ、支援されず。むしろ犯罪者扱い、狂っていると言われる。
    ・自分で調べて調べて、ようやくこの障害のことを知った。それまで誰も教えてくれなかった。未だに医師もはっきりと診断をしてくれない。
  • 家族との関係
  • ・ほとんど記憶にないが、暴言や暴力をふるってしまった。一番大切な妻に対して。でもいつもは普通の仲良し夫婦。自分でも意味がわからない。
    ・こうあるべきということを反対されたら、怒りが止まらない。でもその時はそんな自分に気が付かない。
    ・暴言を吐いている時は、お願いだから僕を怒らせないで欲しい、僕から離れてくれと、心で懇願している。
  • ボランティア活動
  • ・自分にとって意義のある活動で大事にしている。いつもは礼節を保ち穏やか。
    ・自分の意見を反対されると論破したくなって止まらない。
    ・相手はだいたい決まっていて、そういう人からは危険人物と決めつけられた。
  • 仕事
  • ・仕事では、対人面も業務遂行も問題が全くない。
    ・揉めそうな人に対しては、非常に気を使って対応している。仕事の相手なので、感情を出すべきでないと思っている。コントロールはできている。

専門家による寸評

言語聴覚士西村 紀子

未診断であったことが、これほど本人や家族を苦しめることになるとは、病院のスタッフは想像できるだろうか。一方で、入院中にほとんど対人的なトラブルがなく、丁寧に事情を説明して外出届を出して、帰院する、そんな人に社会的行動障害があると気がつくのも非常に難しいだろうと思う。しかし、脳画像を拝見すると、それなりに広い範囲の脳出血であるし、時期は確定できないものの、前頭葉にラクナ梗塞がある。画像だけをみると、後遺症はあっても何ら不思議はない。

「脳が傷ついた人は、なんらかの高次脳機能障害があるはずだと、意図的に観察せよ」これは支援者向けのセミナーでもよく聞かれる言葉である。しかし、意図的に観察するだけでは不十分である。意図的に観察しても「後遺症がない」と思われる人にでさえ、「ないかもしれないけれども、あるかもしれない。保険だと思って知っておいてください」と後遺症の可能性を伝える必要があると、私は考えている。知っているのと、知らないのとでは、その後の人生、天地の差だ。もし、家族がこのことを知っていたら、妻は暴言・暴力をぎりぎりまで耐える、本人はいきなり逮捕されるという悲劇を、少しでも避けることができたのではないだろうか。
1年半前、初めてお会いした時の、必死に怒りと悲しみを我慢している表情が忘れられない。唇を震わせながら「なぜ退院の時に言ってくれなかったんだ。その一言さえあれば」を繰り返していた。「常に鎖でしばられているよう」に、感情が爆発しないようにコントロールしている、こういう人を「脱抑制」と簡単に表現してもいいのだろうかと疑問がわく。
そして、この感情爆発が、相手によって、特に「家庭」と「仕事」において、これほど乖離するのも特筆すべき点である。今、目の前で、社会的行動障害の症状がある人が、職場でも同じように症状が出るとは言えない。職場に戻ってみないと分からないのだ。なので、安易に「復職は無理ですね」と伝えてほしくない。いや、禁句であるとさえ言いたい。自分が一番大事にしていた家族・教会を失った彼が、唯一、アイデンティティを保てているのが仕事だ。仕事だけが残っている。難しいと言われる「就労」だけが成功する人もいるということを知って欲しい。

取材から見える事

文筆業鈴木 大介

鈴木 大介

稲森さんのケースは、いくつもの大きな学びがある聞き取りでした。まず、当事者にとってその後の人生を大きく左右する「易怒」の特性が、病前全く怒りもしなかったことにいきなり怒り狂うようになるのではなく、病前の価値観やパーソナリティを反映したうえで、元々あった感情がコントロールできないほどに大きくなる特性だということ。稲森さんも、病前から家族に無関心であったり、いい加減な思いで教会活動をしていたりしたなら、大きなトラブルにならなかっただろうと思われます。
また、ご家族ではなく教会で起こしてしまったトラブルについては、間違っていると感じられる相手を一方的に論破してしまうケースが多かったと言いますが、お話を伺うとこれは易怒性がベースではなさそうです。相手の間違った言動に思考が拘泥して外せなくなってしまい、相手の反応や感情に配慮する余裕がないほど論破することそのものに集中してしまう、いわば「過集中=注意障害ベースの社会的行動障害」があることを、稲森さんのケースから学ぶことができました。
一方で、易怒の特性を就労の場で大きく発露させてしまうタイプの当事者にとって稲森さんのケースは「仕事に対してどのような価値観で接することができれば、社会的行動障害を抑えられるか」について、最良ともいえるサンプルケースでしょう。
受傷後の当事者が高次脳機能障害の不自由を抱えつつ仕事を続けるには、多かれ少なかれ仕事への取り組み方を病前と変えていかなければなりませんが、マインドセットをどの方向性にシフトさせれば良いのかが、稲森さんの体験に示されているのです。
例えば私事でいえば、かつて取材記者だった僕にとっての価値観や「べき論」は、取材対象者の気持ちや訴えを正しく読者に伝えることに集中していたために、担当編集者の意向や理解が少しでも外れていると、激しい怒りに翻弄されることになりました。ここにあるのは「僕の担当編集者なら、最低限この程度の価値観と意向を共有しているべき」という思い込みでしょう。それを解除することができれば、おそらく仕事の中で感情のコントロールにそこまで苦しまなくて済んだのではないかと思います。
稲森さんご自身も教会関連では「この人も自分のコントロールができない人だ」と思う相手に対しては、全く感情が起伏しなかったと言いますが、僕も新人編集者に対しては何の感情もわかなかったことを思い出します。
方向性を定めたマインドセットの変更、それは仕事に戻るうえで当事者自身でできるセルフコントロール術でもあり、また易怒性を抱える当事者を支援するうえでとても重要な視点にも思います。

インタビュー記事

仕事に戻っても困らなかった

マンションや大規模施設などの工事現場では、工事で発生する音や振動が周囲に及ぼす影響を軽減するために、「仮囲い」で現場周辺を覆います。その囲いに、鮮やかなデザインや広告などが施されているのを見たことのある方は多いでしょう。稲森さんの病前職は「看板屋」。こうした仮囲いのデザインや印刷したラッピングフィルムの貼り込み施工から、小さなものでは商店街や小さな店舗まで、看板に関するあらゆるデザイン業務が、稲森さんの仕事です。

「以前は会社員として看板屋業務に携わっていましたが、10年ぐらいして独立してそれからは自営。それ以前の職歴はちょっと変わっていて、20代の頭に2年キリスト教の宣教師をしているんです。そのあとは保険代理店で外交員をしたり、能力開発(速読)の会社に勤めて大学で学生に教えていたりした時期もありました」

4年半前に脳出血を起こした後の稲森さんは、自営の看板業にそのまま戻ることとなったといいますが、実はその時点では高次脳機能障害との診断も、ご自身の病識もありませんでした。

「実は仕事の中で困ったことって、ほとんどないんです。退院したときに駅の中を歩くのが怖いことはありました。まずエスカレーターに乗れないんですね。ただそれは、2、3ヵ月でクリアしました。上肢下肢全廃(部位)の状態から、近所の山に登りまくって、退院して1年で富士山登るぐらいでしたから。仕事上で問題があったとしたら、注意機能についてでしょうか。継続して意識を残すのが無理で「注意を手放してしまう」という感じなので、鍋に水を入れて火をかけても毎度忘れるような感じ。なのでここは、Googleタイマーで対応しています」

受傷部位と範囲的から考えて、復職時に問題となることの多い項目を次々挙げても、稲森さんは「僕には特になかった」と言います。

「片麻痺があることでお客さんも配慮してくれたのかもしれないし、運がよかったのかもしれません。あと体が動かない分、人に接する頻度も少なかったから不自由に感じることがなかったのかもしれませんね。元々僕の仕事は、20年づきあいのお客さんがゴロゴロいるんです。仕事での人間関係は誠実に取り組んで、お客さんに対して絶対的に良い思いでやってほしいと思ってきていますから、営業しなくてもリピートがあって。片麻痺で失った客や、それが理由で他社を紹介したようなお客さんはいても、それ以外の理由で失った客はいないですし」

最近も大きな施工を担当し、売り上げも病前と変わりません。「本当に、奇麗なぐらい、仕事の上で困ったことってないんですよ」と繰り返す稲森さんです。


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