当事者インタビュー - actual story -

寿司を握ることで人生を取り戻す 料理店経営 乾さんの場合

70代男性
飲食店経営

交通事故によって重度の記憶障害が残った乾さん。入院中は自分のお部屋もわからない、会話した内容も覚えてないくらいでしたが、しかし長年寿司職人としての経験は身体に染みついていた。奥さんとの二人三脚で再開したお店の仕事をする中で、少しずつ改善していきます。仕事に戻ったから良くなったと、お二人とも強く語っています。

まとめ

  • 記憶に残らない、次々に忘れてしまう
  • ・普通にしゃべっていたのに、何を話していたか、誰と会っていたのか、すぐに忘れてしまう。
    ・自分の発言も忘れるので、繰り返し同じことを話してしまう。
    ・作業の途中で話しかけられると、何の作業をしていたのか忘れてしまう。
    ・財布を置き忘れる、火を消し忘れる、通院している病院がわからない、今日の予定がわからない、昨日のできごとが思い出せない。
    ・自分のことを言われても、ぴんと来ない。
    ・常に家族がそばについている。
  • 段取りが悪くなった
  • ・一つ一つの作業はできる、しかし、それを順序良く組み合わせるのが難しい。
    ・いくつかの作業を同時に並行して進めることができない。
    ・今までの何倍も時間がかかる。たいした作業をしていないのにあっという間に時間がすぎる。
  • 頭が疲れる
  • ・雑音があると、頭の後ろあたりがきーんと痛くなる。
    ・一日通しで仕事ができないので、昼寝をはさむ。
    ・身体は丈夫なのに、疲れるとイライラしてしまう。

専門家による寸評

言語聴覚士西村 紀子

病室を覚えられない、リハの時間や、談笑した話をすぐに忘れる、特に急性期病院では、このような症状が多くみられます。意識がはっきりしてくるにつれ改善してくるものの、記憶障害が残存する人もいます。では生活ができないのか? 復職できないのか? それは一概に言えません。高次脳機能障害の中でも、記憶障害は、比較的、本人も周囲も、症状に気がつきやすいです。それゆえ、定着するまでに時間がかかる場合も多いということはありますが、代償手段を取り入れる心の構えはできやすいのです。生活の中で自分なりに工夫している人もたくさんいます。

記憶障害=復職困難と思われがちですが、環境を整え、残存機能を活かすことで、復職できる場合もあるということを、この事例を通してお伝えしたいと思います。長年のキャリアがある人については、「身体にしみついている」強みに着目し、周囲の理解が得られる環境にある人については、しっかりと連携をとって復職に繋げたいものです。
 そして、障害が残っていても、なんだかんだと工夫をしながら仕事をする中で、機能が回復していくのです。「あのまま仕事に戻らなかったらどうなっていたんだろう? 仕事をしたから良くなったんですわ」「諦めたらあきません」これがご夫婦そろっての発言です。支援者が早々に復職を諦めてしまう、つまり回復の芽を摘むことがないように願います。この事例のように、早期に退院してなじんだ環境に戻り、外来リハでフォロー、生活状況を確認しながらステップアップができるのが理想です。しかし現在、様々な事情により、多くの病院で、外来リハが減少しているのは残念です。

 就労とは直接関係ないのですが、特筆しておきたいのが、交通事故などの被害者についてです。高次脳機能障害が残存している場合、記憶が曖昧で、警察署など見知らぬ場所での混乱などで、不利な証言をしたり、わからないまま印鑑やサインをしていたりすることがあります。そもそも後遺症を認めてもらえないこともあるので、しっかりと症状、おかしいなと思った言動をカルテに書き留めておきましょう。のちで裁判などになった時、それが証拠になります。裁判は長い年月かかるので、病院職員はその経過をあまり知ることがないのですが、賠償金は家庭の経済にも関わり、その人や家族の生活の根源に関わるものです。賠償金だけでなく、トラブルに巻き込まれた時にも、カルテの記載が、障害があるという証拠として、非常に重要になる場合があるのです。

取材から見える事

文筆業鈴木 大介

鈴木 大介

乾さんのご経験を聞いてつくづく思うのは、どれほど障害が重く見えても「受傷前に長年習熟していたこと(いわゆる手続き記憶)は残る」ということ。特に「身体の動きと強く連携」している手続き記憶について、それが当事者にとって、その後の人生で心のよりどころにも、機能回復のキーにもなるということです。
乾さんにとってのそれは「寿司を握ること」。僕にとってのそれは「オートバイの操作」でした。
病前の僕はかなりの期間、オートバイ競技の選手として、気が遠くなるほどの反復練習をしてきた過去がありました。忘れられないのは、高次脳機能障害の当事者となってまだ11か月の時点で、病前と遜色ないタイムで走ることができたこと。当時の僕はと言えば、世の中のあらゆる情報速度に翻弄され、非現実感の中でぼんやり生きるしかないような状況。にもかかわらず、身に沁みついたバイクの操作をしている時だけは、何の違和感もギャップもなく思い通りに体が動くことを感じ、その瞬間だけ「現実に戻ってきた!」と心底思うことができたのです。
同じような感覚は「音楽に合わせて歩く」時にも感じることができました。
察するにこうした「自動化されている」作業とは、「認知→判断→行動」のプロセスが、「認知→行動」と直結しているのでしょう。それゆえか、こうした作業は「疲れ」についてもその他のこととは違うという当事者感覚があります。
例えば受傷後6年たった今も、わずか30分程度の電話や数時間の執筆仕事で、手は震え、呂律も回らず言葉も出てこないという疲れに襲われる僕ですが、バイクと車の運転についてはトイレとガソリン給油で停まる以外、10時間ぶっ続けで走行しても、ほとんど脳の疲労を感じないのです。
乾さんも寿司を握る動きの中で、世界のリアルを取り戻す、現実感に着地するといった感覚を味わったのかもしれません。僕のように、それが「仕事そのものではない」ケースもあるでしょうし、身体の麻痺があってせっかくの手続き記憶を再現できないこともあるでしょう。
ただ、こうした作業が当事者にとって、長時間継続できるリハビリ課題であることは、明確。願わくは、支援職と当事者が協力して、それぞれの当事者にとっての「それ=身体性の高い手続き記憶」が何なのかを見極め、回復の糸口として注目してほしいと思います。

インタビュー記事

手が覚えていた

その道47年、18歳から寿司職人一本を生業としてきた乾さんは、交通事故をきっかけに高次脳機能障害の当事者となりました。18歳から修行を積み、25歳でご自分のお店を開業。以来ずっと続けてきたご自分のお店は、常連さんに愛される商店街の中のお寿司屋さんですが、カウンター7席に4人席が二つと座敷もあって、席数20以上と、板前さん独りで切り回すには、少々大変な規模。かつては職人さんを雇っていたこともありますが、ここ10年ほどは奥様とふたりで切り盛りされていたとのことです。

乾さんは、受傷後三カ月ほどでお店を再開させたといいます。

「一日の流れを言うと、朝6時半には市場に向かって仕入れをして、店に戻って仕込みをして11時に開店、以前はそのまま夜の23時まで通しで営業していましたけど、事故してからは14時に昼の部を閉めて30分ぐらい仮眠を入れるようになりました。学生時代には柔道をしていたし、日々鍛えている方でしたんで、体力には自信があったんでね。職人として修業時代は月に1日しか休みがなかったし、今でも風邪なんか年に一度ひくかひかないかで、それで寝たこともない」

入院病棟にいた時点でも「毎日腹筋100回」を欠かさなかったという乾さん。「体が資本で生きてきたのが(仕事に戻るには)何よりだった」とは言いますが、その体力に加え、何より乾さんの復職の支えとなったのは、受傷前の50年近くに渡る職人経験でした。

乾さんのお店はいわゆる大衆店で、握りや巻物だけでなく、天ぷらや揚げ物、炙り物や煮つけといった、幅のあるメニューを提供していました。季節にあった魚を仕入れ、複雑な行程を経た料理を提供する、高度な仕事です。一方で当時の乾さんは、入院している病院の名前がどうしても覚えらえなかったり、小学校二年、三年生レベルの課題をすごく難しく感じたりというほど、それなりに重い障害特性を残している状況。

にもかかわらず、乾さんは、料理をすることそのものについては、ほとんど不自由を感じなかったというのです。

「単品で作るものの手順が分からないとか、作れなくなったもの、作るのに手順で失敗したものというのは、一切なかったですわ。特に考える必要がない、考える前に手が動きますやろ。あかんかったのは、長いこと包丁握ってなかったから、かつらむき(大根の薄切り)とか。手がぐらぐらしてね。怪我してたのもあって、力入れると痛い。けど仕事と比べたら、リハビリの課題の方が難しかったやんな。仕事に戻りながらも、店を閉めたあとに、もらってきてたリハビリ課題やってましたけど、すぐ頭が痛くなってしまうし。思えば入院中もリハビリやったあとは、しんどくて次のリハビリ受けられずにすぐ寝てました。そら仕事の方が楽やんな」

そんな中で気になったのは、仕込みの時に頻繁にガスの火を消し忘れてしまうこと。かんぴょうを煮付けたり、エビなどを湯通しする際、そのことを忘れて住居のある二階に行って家事をしてしまい、黒焦げになってしまうということが重なりました。天ぷら油の火をつけっぱなしにするなど、何度か危ないシーンを経験して「びっくりした」とは言いますが、常にポケットにタイマーを入れたり、鍋の前を離れないといった対策でクリアしたそう。

乾さんは、料理を作ること単体の作業については、ほぼ完全に病前通りにこなせましたが、寿司職人の仕事は料理だけを作り上げられれば良いものではありません。お仕事に戻る中で乾さんに立ち現れた不自由は、調理以外の部分の細かいことについてでした。


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