当事者インタビュー - actual story -

「しゃーない」からスタートした環境のカスタマイズ 特例子会社勤務 立花さんの場合

40代男性
特例子会社 会社員

回復期病院で高次脳機能障害の説明を受けて大ショックをうけた立花さん。しかし、障害に対する自身の理解がすすみ、その後、周囲に症状の説明したり、自身のモニタリングをする行動に繋がりました。配慮がない環境でも、怒らず、しゃあないと諦めつつも、今は、作業療法士さんと一緒に働きやすい職場環境を整えています。

まとめ

  • 軽作業
  • 杖を必要としないけれども、軽度の麻痺と感覚障害がある。だから、荷物を運ぶことが大変! しゃがんで荷物を移動させることとかもできない。だけどそれを分かってもらえない。
    頭が疲れるかと聞かれるが、それよりも身体の方が疲れる。
  • 疲労
  • 職員の体調管理のためのシステムがあるけど。そもそもこの障害があると、疲れるのは当たり前、仕事が終わるころには、他人としゃべるのが嫌になるくらいクタクタだが、それがこの障害には「普通」レベル。
  • 手順書
  • 健常の人が、健常の視点で作成した手順書は、ぜんぜん、分からない……。もっとシンプルに、自分用にカスタマイズしないと使いこなせない。作って終わりでなく、使えてなんぼなんだけど、その説明をするくらいなら、自分で作った方がマシ。
  • 周囲の環境
  • がちゃがちゃ音がしたり、雑談が多かったりすると、そっちに注意が分散してし
    まって、自分の仕事に集中ができない。自分はきちんと仕事をしたいから、集中できないのが一番いらっとする。

専門家による寸評

言語聴覚士西村 紀子

立花さんは脳出血による身体麻痺と高次脳機能障害があります。ややカロリー過多な食生活と運動不足、そんなに健康に気を付けているわけでもないが、そんなにめちゃくちゃな生活でもない、どこにでもいる40代男性です。つまり、誰にでもリスクがあるということです。

生活自立センター、就労移行支援事業所、特例子会社など「就労に理解がある」と思われるステップを踏んで、再就職・就労継続をしています。しかし、現実は順調ではなく「高次脳機能障害を理解してくれというのは無理やな」と諦めの境地に至っています。病院に勤務している支援職からすると、地域の施設に送り出せたら良かったと安堵するものですが、当事者の苦労はそこからスタートする場合もあると、認識しておく必要があります。
立花さんのケースで最も重要なのは「障害に対する気づき」です。私も、障害についてどこまで説明するのか迷うことがあります。ご本人が否定して怒ったり、また落ち込んだり、そうした反応が恐くて、あまり踏み込まないでいる病院も多いようですが、退院したあと、ご本人が生きていくためには、自身の障害について知っておくことは、非常に重要です。感情的になってしまった場合は、説明する人、傾聴する人などの役割を決めて、チームで支えましょう。

そして、気づきは、障害について一般的なことを知っている(知識的気づき)、次にご自身の体験から「あ、こういうことか」と気が付く気づき(体験的気づき)、さらに「あ、こうなりそうだ」と問題を予測し(予測的気づき)と順に進むと言われています。目指すは予測的気づきであり、さらに、誰かに相談・支援を求める、つまり自分の気づきを言語化できることが理想です。立花さんは「あ、俺、そろそろヤバイ。面談頼む」とOTさんに声をかけています。まさに予測的気づきからの、相談・支援を求めるパターンですね。これが就労継続できている大きな要因ではないかと考えます。立花さんは長年かけてこのスキルをご自身で身に付けました。どの人も入院中は、なかなか気づきにつながる体験をすること自体が難しいのですが、外出訓練などを組み合わせ、こうした「気づき」と「言語化」について取り組んでいきたいと思います。

取材から見える事

文筆業鈴木 大介

鈴木 大介

高次脳機能障害そのものが軽度であっても、身体に障害があれば、または病前職への復職が困難であれば、障害者枠での雇用が選択肢に入ります。実に戦略的に立ち回れている感を受ける立花さんですが、その前提となっているのが支援職との関係性の良さにあるかと感じました。
立花さんの勤める特例子会社では、現在高次脳機能障害に理解の深いOTとPSWが常勤でいますが、インタビューで立花さんが語ったように、立花さんにはいわゆる「福祉のサービス提供者と利用者」のような感覚は全くなく、理解してもらえないことは積極的に開示を続ける姿勢が徹底しています。
障害者雇用の法整備もようやく整ったばかりの中、メジャーとはいいがたい高次脳機能障害、しかも軽度の当事者がどんな配慮を求めているのかは、障害者枠の雇用先であったとしてもまだまだ未整備というのが現状です。当事者の話の中では、支援職の理解の浅さや、その浅さからくるお仕着せなサポートのエピソードを良く聞くことがあります。
そんな中、「プロの支援職なのにこんなことも分からないのか!」と怒るのではなく、立花さんのように「しゃーない」精神で支援職と共に自身の職場をカスタマイズする当事者。願わくば、支援職の側も彼のような当事者から何かを学び取ってほしい。そしていつかは、当事者自身がカスタマイズなどしなくても、それこそ純粋な「サービス」として適切な支援を受けられるような社会になってほしい。これもまた、当事者からお願いしたいことのひとつです。
※ OT
作業療法士
Occupational Therapist
※ PSW
精神科ソーシャルワーカー
Psychiatric Social Worker

インタビュー記事

カウンターの経験が残っていた

病前の仕事の経験は、旅行会社のカウンター業務を10年以上という立花さん。ツアー希望客へのプラン営業や会計、予約や発券業務といった客対応と事務作業が主な仕事内容だったと言います。同業の会社をいくつか経験した後に、ちょうど転職活動中というタイミングで立花さんは倒れ、高次脳機能障害の当事者となりました。

「リハビリ病院にいる時点で、複雑な情報処理力がとにかく落ちていることは自覚していました。STの指導で、昨日のことを日記に書こうとしたら、全然思い出せない。エクセルで入力作業をしてみても、セルはズレるし誤字も無茶苦茶で、今までならできたことが、全然できない。高次脳機能障害と言われたばかりの頃は、自分は違うと思ってたけれど、リハビリ病院の後に通所した都道府県の障害者自立センターで他の利用者を見て、自分とおんなじだなあって気づいたのもあり、このままだったら社会復帰は無理だなと自分で理解していました。まして旅行会社の業務というのはとても複雑なので、いまの状況ではその業界には戻れないだろうって。まあ、あまり将来性のある業界とも思えなくて、興味を失っていたというのもありましたけどね」

ということで、受傷後最初の仕事は、お住まいだった県が当時東日本大震災の被災者支援を含めて企画した、緊急雇用促進事業。具体的には商店街の中の店舗やイベントブースなどで「授産品」(障害者施設や作業所などで作られる物品)を販売する仕事でした。

「まずここで一年、障害者就労枠で働き、そこで頑張ったことが統括役に評価されて、副店長として別の店舗に移り、一般就労枠で一年働きました。規模的には小規模ですね。従業員は5名。ひとりは店長。ローテーション制、交代交代で休んでいく形ですが、就労時間は8時間のフルタイムでした」

高次脳機能障害の当事者は、買い物の際、レジの会計で混乱して、うまく支払いができないと訴えるケースが多いのですが、立花さんはその会計をする側の業務に、すんなり慣れることができました。

「それは、元々カウンター販売の仕事が長かったことが強みだったからだと思います。売り物が変わっただけで特に苦労することなく、仕事内容にはすぐ慣れました。元々

計算とかは得意で、暗算二級も持ってたし、リハビリ病院でのSTの時間で、山ほど計算課題もやったので、不自由はなかったですね。もちろん混乱する場面もあります。でも、例えばたくさんの商品が入荷した時には、自分なりに商品陳列を工夫して、混乱しないように整理して。ほかの職員にもそうさせてほしいって配慮を求めていました。問題は疲れですね」


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