当事者インタビュー - actual story -

【記事全公開】得意だった口頭プレゼンができなくなった文筆業 鈴木さんの場合

40代男性
ルポライター(文筆業)

仕事と家庭で、かなり多忙でストレスの多い生活を送っていた鈴木大介さん。やばいなぁと思いつつも、自営業ゆえ、その生活パターンを変えることができず、脳梗塞を発症。発症してすぐに、病棟で企画書を書いたのが「脳が壊れた」と言うベストセラー本。退院後も、執筆、講演と精力的にお仕事をこなす鈴木さんの1番の困りごとは、駅構内などの雑踏でのパニックでもなく、単純な作業ができないことでもなく...「言葉が出ない」でした。そして「脳疲労」と「怒りのコントロール」です。

まとめ

  • 打ち合わせ、プレゼン、会議、交渉
  • 相手の話が頭に入ってこないし残らない。言いたいことを表現する言葉が浮かんでこない! 落としどころがわからない! ひたすら持論を繰りかえす一方的な態度になるか、黙り込む 。
  • 早口、複数、雑音があると、大パニック!
  • わからない、わからないと焦れば焦るほど、ますますドツボにはまる。もはや、何を言いたかったのかも忘れるくらいに混乱する。
  • レポート、資料、本
  • 文字は理解できても、読んだ先から文章が頭の中で消えていく。何について書かれた文章なのか、全体を把握することができない。
  • メール、 LINE 、 SNS
  • やり取りを重ねていくと、流れが把握できない。必要な箇所が探せない!グループでのやり取りは、誰の何のコメントなのかわからない。返信するにも時間がかかる 。 気が付けば既読スルー状態。伝えたかったことを入力するチャンスを逃す。

専門家による寸評

言語聴覚士西村 紀子

鈴木大介さんは、過労、喫煙、高血圧を放置、つまり生活習慣が原因と思われる脳梗塞。無茶な生活に見えますが、自営業、社長、ノルマの厳しい職場、介護や育児を一人で抱えている人など、こういう方は多いと思います。少しでも、異変を感じたら受診することをお勧めします。
復職にあたり「言葉の問題」が出てきます。入院中に企画書も書いてるのに? 言語聴覚士さんは「話せてますよ」と言ってるのに? 取材記者とか、高度なコミュニケーション力が必要な仕事だからじゃない? と思われるかもしれません。実は、脳卒中や頭部外傷など脳の病気をした人の多くが、会話、それも雑談レベルでさえ困っているのです。仕事の打ち合わせとなると言わずもがなです。ここで、会話に必要な機能について考えてみましょう。
まずは、発話している相手に注意を向け、もちろん相手が変われば注意を切り替えます。自分が話す時は、話す内容や声、そして相手の反応、その両方に注意を向けなくてはなりません。当然ですが、会話が続く間は、ずっと注意を持続しないといけません。また、相手の話すスピードにあわせて次々に情報処理をしていかないと、会話についていけません。
そして、話のテーマや流れを記憶しておきます。記憶が低下すると「あれ? 今、何の話だった?」となりますし、自分が話している途中でも「いま、何を言おうとしたんだっけ?」となります。
さらに、瞬時に自分の意見をまとめ、わかりやすく言葉にする要約力と、状況にあわせる柔軟性(遂行機能)が必要です。
これらに加え、感情をコントロールしなくてはいけません。鈴木大介さんのように、感情が湧き上がってくると、それを抑制するだけで、いっぱいいっぱいになってしまいます。
では、何から手をつけたらいいのでしょうか。私はとにかく「聞く」の練習をお勧めします。 YouTubeのように再生速度が調整できるものが良いでしょう。ゆっくりめから始めて、段々速く。時間も10分くらいから始め、延長します。また、一人語りのものから、会話があちこちに飛ぶ対談、さらに、周囲ががやがやしているもの、BGMがあるものなどに。さらに、何か身体を動かしながらの、ながら聴き。こうして「聞く」ための注意機能をあげていきましょう。これらは一人でできるので、是非、復職前に、毎日取り入れてほしいものです。

取材から見える事

文章力養成コーチ松嶋 有香

松嶋 有香

前の仕事である人物取材の記者にはやはり戻れないと鈴木さんは言いますが、それは残った障害特性に加えて「鈴木さんが病前通りのクォリティで取材をし、記事を書く」ということに、強いこだわりを持っていることも大きく関係しています。病後に壁に張り出した紙にあるように、病後でも納得のいく仕事ができない自分を許容するのがかなり困難でした。
「もともと毎日同じ場所に通勤し、組織の中で人の指示に従うようなサラリーマン仕事が自分には務まらないから、フリーランスの記者の道を選んだ経緯もあり、選んだ自分の仕事だからこそ、自分にしかできない仕事、妥協しない仕事にこだわり続けてきました。大した評価を受けているわけでもないのに、仕事の上では根拠のないプライドがある人間で、そのことが実は病後の苦しさにずいぶん直結しているとも感じています」
例えば鈴木さんの病前性格が悪く作用したと感じているのは、仕事相手に意図が伝わらなかったり、相手があげてきた仕事の質が低かったりした時の、苛立ちと怒りの感情の大きさ。
さらに病後の生きづらさの本態だったという話しづらさについても、病前習慣とパーソナリティが関係していると最近になって思うそうです。
「記者という仕事の中、もともと一般の方よりたくさんの選択肢の中から言葉を選び抜いて話す、自分の感情よりは相手から必要なリアクションを引き出すための言葉を選んで話す、そのような習慣があったと思うんです。その言葉がとっさに出てこない。頭の中で上手に組み立てたり選んだりなんて、高次脳機能障害の脳には難しすぎますからね。なので、確かに病後に最も話しづらかった相手は、特別僕が好意を寄せていて相手に悪く思われたくない人とか、もともと苦手な人、誤解させると面倒な警察官とか医師といった職業の人なんです。そこまで言葉を選ばないとか、我慢せず怒鳴る時は怒鳴るみたいなコミュニケーションスキルで生きてきた人なら、僕ほど苦しまずに済んだかも。けれどその場合は僕ではなく家族や取引先がもっと大変な思いをしていたでしょうけれど」

インタビュー記事

取材の仕事を断念し まずは執筆の仕事へ

病前の主な仕事は、人物を取材して雑誌に記事を書いたり、それをまとめた本を執筆したりすること。またそうした書籍を原作にした週刊連載漫画のシナリオ執筆などをしていた鈴木さん。しかし病後は、この人物取材の仕事が一切できなくなったと言います。


「取材記者とは単に相手の話を聞くだけでなく、相手に合わせて言葉を選び抜いて、その時最も適切な言葉を、最も適切なニュアンスで、最も良いタイミングで投げかけなければならない仕事です。頭の回転がめっぽう遅くなり、この言葉の選択もタイミングもあらゆるものを失ってしまった結果、取材記者業については廃業するしかありませんでした」


一方、発症直後は、数行の文章を読んでも「読んだ先から文章の内容が頭から消えていく感じ」で読み込めなかった鈴木さんですが、自身で文章を書くという能力は失われませんでした。それで、書籍の執筆や連載漫画のシナリオから復職した鈴木さん。しかしそこでも、この「話しづらさ」が鈴木さんの仕事の足を引っ張ります。


口頭プレゼンができない!

「漫画のシナリオは、漫画家と担当編集との三者付き合わせて、数話先まで大筋の物語を決めておいた上で、僕が毎話の物語の草案を作り、漫画家と担当編集の希望や疑問をヒアリングしながら、最終シナリオに詰めていく作業、これを毎週繰り返すのですが、なぜその草案になっているのかを説明する口頭プレゼンが全くできないんです。ここだけは押さえてほしいという大事な要点を短い言葉で説明できないし、相手が既に草案に書いていることや説明済みのことを理解できずに差しはさんでくる質問や、明らかにそうなってほしくない対案を投げられると『書いてあるのに!』と感情が大きく乱れて、いらだちで手が震えるのを抑えるのに必死という感じでもありました」


そもそも相手の言葉が早口だったり、まどろっこしかったりすれば、意味を良く把握できないといった不自由もあって、鈴木さんは自分が異様に頑迷で融通の利かない人間になったように感じたと言います。「以前なら落ち着いて論点を説明し、それを続けて、相手との折衷案を探していくことができましたが、自分の主張を押し通すか、妥協して相手の意見を飲むかの二択なんです。言葉のや


作業が中断できない、作業が読めない

「メール文章で、相手の意思が明確に分からなかったり、いくつもの判断点が込み入った相談メールだったりすると、こちらが混乱して何が言いたいのか分からないので『要点を整理して、判断と返答をしなければならない点には番号をつけて指示してほしい』というお願いをしましたが、相手からすれば、そんなこと電話一発で済むと思うじゃないですか。それで先方は電話をかけてくるんですが、この電話での会話が鬼門で、対面で話すよりも内容が全然頭に入ってこないんです。しかも電話に出るためには手元の作業を中断する必要があるけれど、その中断するということが本当にきつくて。例えばPC作業中なら電話が鳴っても、接着剤で手がキーボードにくっついたように、作業に固執してしまう」 この作業を中断できないというのは電話だけの話ではありません。執筆中の仕事の間に、ちょっと小さな仕事を割り込ませてほしいとか、ほんの数行の文字を書き加えてほしいとか、内容について小さな改変をしてほしいといった指示でもあり、鈴木さんはその都度大きなパニックに陥ったと言います。 「15年近く執筆の仕事だけをしてきたはずなのに、自分がやっている作業にどのぐらいの時間がかかるのかが全然読めなくなって。そもそも執筆にものすごく時間がかかるんです。病前なら数時間で済んだコラム仕事が二日かかっても書けなくて、絶望したこともあります。こんな感じでひとつの案件だけでもいつ終わるのか分からないのに、作業の変更や間に何かを入れられることで、やっている案件も次の案件も、全部がぶち壊れ、全部が永遠に終わらなくなってしまうような、スケジュール感の崩壊がありました。本音を言えば、作業を始めたら終わるまで次の作業はできないんです。早く仕事を終わらせてほしければ、終わ るまでは何の指示も提案もしないでください、という感じでした」


いいものだけを作り続けるしかない

結局、鈴木さんは、取引先の出版社に多くの要請をすることで、なんとかその場をしのごうとしたと言います。電話連絡や打ち合わせは不可能。指示も依頼も夕方6時以降は受けられないので、翌朝のメールで受ける。打ち合わせは最大参加者2名。ふたつの仕事を請けるにしても、並行してやるのではなく、〇曜日はAの仕事、〇曜日はBの仕事という感じでしか請けられない等々の工夫を要請したそうです。 「書きだしたら切りがないほどのお願いを、僕が取引先にできたのは、僕が原稿を書かなければ、出版社側も漫画家やアシスタントさんたちの仕事も回らなくなってしまうという、ある意味その仕事の生命線を、僕が握っていたからですね。何もかも無茶苦茶になってしまった僕に、連載が終わるまで付き合ってくれた担当編集者には、感謝なんて言葉では尽くせない思いを感じています。しかし、病前の僕は、ほかのライターが週刊誌などで穴をあけた記事を、即企画即取材即執筆で埋めるといった、フットワークと柔軟性を売りにした働き方をしていましたから、喪失感は相当に大きなものがありました。納得のいく仕事が全くできない中、あまりに気持ちがふさいでイラついておかしくなりそうで、仕事部屋の壁に『今の仕事は今後のキャリアに影響しない。仕事でリベンジは必ずできる。いいものだけを作り続けるしかない』といった標語を大きく書いて、貼っていました」 ただ、鈴木さんはこうした病後の仕事が自身の高次脳機能障害にとって、大きなリハビリになったと感じているそうです。


仕事がリハビリになった

「当事者になって、自分の中にわき起こる感情があまりに大きくてコントロールできない感じなんかは、自分が子どもだった頃のことを思い出させる感じなんです。子どもも感情はコントロールできませんが、場に応じて感情を抑制するトレーニングを積むことで、徐々に抑制を身につけるわけです。仕事の中で情緒を爆発させず、たとえ手や声が震えながらでも、怒りやいらだちをコントロールしながら打ち合わせを続けたこと、頭の中でまとまらない言葉を文字に起こして紙やモニターの中で組み立て続けたこと、いずれもが、とても強度の高い、有効なリハビリだったと思います。ギリギリのところで自分で逃げられるとか、人に合わせて動くシーンが少ない自営業だからこそ、強度のコントロールもできたんだと思います。今でも、耳栓やヘッドフォンなしに情報量の多い駅構内などに行けば混乱して、自分がどこにいるのか分からなくなりますし、電話もほとんど受けられませんが、この仕事だからなんとかしがみついています。改めて、この仕事以外の職種だったら、ほとんどどんな職種でも、僕は失職してしまっていたのだろうと感じています」

発症から6年近くが経ち、残った障害特性に日々落ち込みながらも、笑い話の文脈に載せられるようになったと鈴木さんは言います。機能を再獲得していく中で、一番うれしかったのは、病後3年後ぐらいのこと。情緒のコントロールと脳のスピードが回復することで、対話の中で当意即妙の「皮肉やボケやギャグや自分突っ込み」を交えることができるようになったことだと言います。

「雑談力の回復は本当にうれしかったですね。まだいくつかの仕事を並行してやることは困難ですが、なんとか作業中の仕事の仕様変更とか、スケジュールを組むことについてはやれるようになってきました。現状で妥協しきれないのは、まず仕事の中でいくつか異様に時間がかかってしまうものがあることです。例えばメールフォルダの中から特定のメールを探すことや、過去に書いた原稿の中から必要なものを抜粋すること、またメモ程度に書いた素材原稿を探す作業などには、自分でも理解不能なほどに時間がかかってしまい、ふと気づくと1010分程度のつもりが4040分経っていたなんてことがあります。原稿の執筆についても、書くこととターゲットが明瞭な原稿は、かなり病前に近いペースで書けるようになった一方、想定読者を書きながら絞り込んでいくような、また、色々な可能性の中から内容と言葉遣いを選んでいくようなタイプの原稿だと、ありえないぐらい時間がかかります。脳内で何かを探す、模索するといった作業をすると、時間が溶けて消えるような、タイムリープしているような感覚です。それは、子ども時代に遊びに集中しているときの時間の飛び方を思い出しますね」


集中力を使い果たすと、使い物にならない自分に

の時間の感覚が取り戻せないことに加え、妥協できずに悩むのが「脳の疲労」です。発症直後はそれこそ「起きているだけで精一杯」という状況から今に至る鈴木さんですが、仕事の持続時間については、病後、長くなったり短くなったりを繰り返しているのだとか。

「実は復職直後は1日8時間ワークができていた時期があったんですが、それは集中力がそもそもなかったからなんですよね。原稿の質も低く、一日に書ける分量も少なかったし。けれどそれが、質も上がり単位時間の執筆量が増えると、今度は持続しないんです。脳の疲れは、情報量の多い場所に行く時とか、人の話を集中して聞いたり複雑な内容をプレゼンしたりする時などで出てきます。一度脳のエネルギーが尽きると、ろれつは回らないし、言葉が頭に浮かばず考えもまとまらないし、左手の麻痺も出るし、声も震えるし、最悪、今何をしていたのか、何をしようとしている途中だったのかということまで分からないような混乱に陥ってしまうんです」

現状では集中するデスクワークで6時間、対面のプレゼンで1時間と少しぐらいしかもたず、集中力を一度使い果たすと、その日の残りは何もできず、使い物にならないと鈴木さんは言います。

「これも一般の会社だったらまずい点ですね。でも自営でも、24時間ある中の6時間しか仕事ができないというのは凹みます。それも日差変動や日内変動が激しくて、ある日は結構頑張れるのに、ある日は午前中の序盤でアウトとか、自分がどれだけ頑張れるのかが全然読めないのは、仕事の上では大きなハンディキャップに感じています。幸いお仕事はあるのだけど、やってもやっても終わりが見えない状況がずっと続いています」


病前の習慣とワーキングメモリ

方、鈴木さんに色濃く残る障害には、ワーキングメモリの障害もあります。人が話していることを聞いた先から忘れてしまう、自分が何を話したいか声を出した瞬間に忘れてしまう、レジで店員さんが言った三桁の数字も憶えていられないという状況から始まったワーキングメモリの障害です。一時は、メモ帳を出すまでの間に口頭のアポイントを誤認して、間違った書き込みをし、その結果約束を破ってしまう事態になったとか、仕事の締め切りを完全に失念することなどもあって、毎度真っ青になって、かなり仕事に支障をきたしました。

「これは、もともと僕がカレンダーやメモを取る習慣があまりなかったのも悪かった。病前は、週刊誌や月刊誌といったタイトな進行の仕事が多くて、毎日が何かの締め切りだったから、メモしなくても毎日誰かに何かを請求し、請求されるという中で仕事を回していたんですね。なので、病後、メモを取る習慣、そのメモを常備する習慣が付くまでに、実に2年3年かかりました」

ところが鈴木さんは、この記憶の障害については、今は笑い話の文脈でとらえられるようになったというのです。


笑い話にできるか

「過去のメールを見てみると、知らない人と親しげにやり取りしていたり、自分が書いた原稿を書いた記憶がなかったり、自分が提出した企画書を憶えてなかったり。そういうゴッソリした記憶の抜けがたくさんありますが、もう対策してもしようがないものについては、笑い飛ばした方が楽だなと思うようになりました。先日は取引先から『あの企画そろそろ進めますか』なんて連絡をいただいて、僕が提出したという企画書(記憶にない)を返送してもらったんです。そしたらこれがまあすごく良くできた企画書で、僕の伝えたいことが全部書いてある! まあ僕が書いたものだから当たり前なんですが、今は取引先も僕にこうした障害特性があることを知っているし、自分が覚えていられないことは担当編集者に頻繁に頼って、まるで担当編集を自分の外部メモリーに使う、みたいな感じにしているので『鈴木さんまたですか』という感じで笑い話で済ませることができるようになったんです」 残った障害特性について諦められるか、笑い話の文脈に落とし込めるかは、あくまで取引先と仕事次第だと鈴木さんは言います。 「さすがに半年前から準備をしていた講演会をすっぽかすとかはできませんから、そうした仕事には相応の緊張感をもって、事前に当日までの準備をメモして再確認し、相手にも確認しまくって、結構きつい思いをしながらでもクリアしています。けれど、ある程度余裕のある業務にまで同じ緊張感で挑んでいたら自分が壊れてしまいますから、業務によって緊張の使い分けをした方がいいんですよね。もちろん仕事を抱えすぎると、どれもが緊急事態になるので、そんなに抱えられないこと。ただでさえ仕事の時間が読めないのに、焦ったり急いだりすると余計に仕事に時間がかかってしまうので、突発的な依頼をせず、早め早めの指示をもらえるように周囲にお願いしながらやっています」