当事者インタビュー - actual story -

飲食店に勤務していた槇田さん


 精肉店で働いたのち、飲食店に移ったんですよ。お肉が好きなんで、単純にそれに関わりたいなと思ったんです。
ある日、原付で走っていたときに、車と接触する事故に遭ったんです。相手の主張によると、事故については、僕が悪かったらしいのですが、そこは覚えていません。記憶がないので、納得するしかないですよね。でも、後遺症は僕の方が重かったので、保険会社で話し合って、示談になりました。
 事故にあう数日前から、病院に運ばれた後一か月間くらい、全く覚えてないんです。周りの人に言わせると、入院して数日後にはご飯は食べていたし、簡単な話もしていたようですが、覚えていないんですよ。一か月後にリハビリ病院に移りました。その数日後に目が覚めて、「え! なんだここ?」ってパニックになったんです。「左の身体が動かない!」って。僕は右脳の出血でしたから。看護師さんが来て、「落ち着きましょう。明日、お医者さんから説明してもらいますね」って言われました。あれ? あれ? って思いながらも、「事故なら仕方ないか」って感じで、その日は寝ました。次の日、先生から説明を受けて、急にスイッチが入ったというか、前のめりでリハビリをしました。このあたりからは、断片的ですが記憶があります。
リハビリの先生から言われたのは注意障害と記憶障害ですね。検査や入浴、リハビリの時間などをよく忘れて、外を歩いていて探しに来てもらったこともありました。病院の人はみんな親切で応援してくれました。入院中に、遠方から会社の人も来てくれたし、復帰しなくちゃなと思っていました。
 退院してから、しばらく自宅でリハビリをしながら復職の準備をしました。会社とお医者さん、僕と家族で、復帰の時期については話し合いました。言語のリハを自費で受けていたので、その人に相談したりもしました。一度本当にできるか試してみようと思って、年末の忙しい時期に、こっそり出勤したんですよ。ほんとはダメですけどね。でも、現場に行ったおかげで、何ができないかよく分かりました。体力も全然足りなかったんです。さっそく作業療法士さんに自主トレのメニューを組んでもらいました。
 3年たった今でも、仕事が終わると疲れていますね。車やバイクの運転も、まだやめています。家族も心配しますし、もう少し良くなってからかなと、思っています。
思うようにできなくて、イラっとすることも多いですが、それは自分の中で納めるようにしています。周囲の人には、自分の苦手なことについて、しゃべりまくって、ここを助けてほしいなどとお願いしています。本社の相談室にも伝えました。特に配慮はなかったですけどね。まあもともと考え込むタイプじゃないんで「しゃあないか」の精神です。

まとめ

  • 軽度の麻痺でも仕事では致命的
  • ・左手を使う動作が遅いから、作業全体の効率が悪い
    ・感覚が鈍っているので、お盆の上においたドリンクがこぼれてしまう
  • 同時に注意がはらえない、記憶が途絶える、思考がまとまらない
  • ・作業しながら、お客さんと話すことが難しい
    ・状況を見ながら、瞬時に判断し、複数の人に指示を出すことができない
    ・思いついたことを、すぐに忘れてしまう。常にメモを持ち歩いている
  • とにかく疲れる
  • ・復職前にはたっぷりジムで身体を鍛えていたのに、身体が持たない
    ・休憩時間になったら、ばたんと倒れ込んで寝る日々
    ・時短で復帰して、通常勤務になったのは半年後
  • 障害については、半分開示
  • ・説明はするけど、みんなが理解してくれるわけではない。でもそんなもの
    ・全員の反応を気にしていたら、やっていられない
    ・口で説明するより、うまくできない結果を見てもらい、実感してもらう作戦

専門家による寸評

言語聴覚士西村 紀子

「病院」と「日常生活」では環境が全く違います。病院にいたら、退院した後の困りごとが実感できないのは当たり前。高次脳機能障害は「日常生活」や「社会生活」への適応が困難になる障害なので、軽度であれば、入院中は問題にはなりにくいものです。なので、私は早期に退院して、生活しながら、外来でリハビリができるのが理想だと考えています。生活での困りごとが明らかになることで、当事者はリハの必要性も理解できます。リハビリ職側も、病院では分からなかった困りごとがわかり、どのようなプログラムを提供したら良いのかがよく分かります。
 しかし、それでもやはり復職に向けての準備は不十分なのだということを改めて思いました。槇田さんは、回復期病院で、目覚めた後(本人談)は、自らのめり込むようにリハビリを行ったそうです。退院時には「少し様子をみて復帰」と言われるレベルにまで回復。自宅での生活は何も困らなかったし、LINEなどを使った同僚とのコミュニケーションも問題なし。電話もできる。飲食店の業務を考えると、体力が足りないと思い、スポーツジムに通い始めます。言語リハビリも、カフェなどの周囲がうるさい場所で実施し、復職に備えました。しかし、現場に戻ると想定外のことばかりだったそうです。複雑な動作やスピードが要求される。大きな声で動きながら話し続けなくてはいけない。次から次へと状況が変わるのでそれに対応しなくてはいけない。すべて現場に入らなくては経験できないことです。
 槇田さんだけでなく、ここまでリハビリをやっても職場では難しかったのか……という経験は、時々あります。麻痺もなく、梯子の昇り降りもスムーズにでき、退院後は子どもの運動会でも大活躍。しかし微妙なバランスが取れなくて高い場所での作業ができないと言っていたとび職の人。(*)資料作成やプレゼンはできるようになったけど、プレゼンのあとの質疑応答で頭が回らないと言っていた営業マンなど。外来リハではなく、本当はジョブコーチの制度が使えたらいいのだろうと思います。「病院」と「生活」がかけ離れている、「生活」と「職場」もかけ離れている、当事者だけでなく、支援者も、どんな困りごとが発生するのか想定するのは、いくら想像力を駆使しても、なかなか難しいのではないでしょうか。かといって、むやみに「復職できない」という判断にならないように気を付けたいところです。

(*)この方については、外来で状況を聞いた担当者はお手上げで、理学療法士の課長が「なわとび」を勧めていました。

取材から見える事

文筆業鈴木 大介

鈴木 大介

復職と勤続を成し遂げている槇田さんのヒアリングを聞いていて、妙に懐かしい気分になりました。
取材本文にも書いたように、繁忙期のホール営業では健常者でも「頭が真っ白になる・テンパる」を経験するのが飲食ですし、それをカバーする風土が整っているのがまた飲食でもあります。が、槇田さんは色々なシーンであまりにも「テンパらなすぎる」のです。例えば復職当時のホール業務について、槇田さんはこう言います。
「復帰した当初は全然話せなくて、お客さんを席にご案内してメニュー説明をするだけでも息が切れて話ができない。なので、お客さんには『すみませんが実は事故をして言葉が出づらくて』って正直に理由を話すことが多かったですね」
当事者が聞くと、これはちょっと驚く、真似をするにはちょっとハードルが高すぎる対応です。なぜなら、高次脳機能障害の当事者には、焦る・急ぐ・テンパるといった場面で一気に混乱が深まって、何も考えられなくなる症状が少なからずあるから。このアドバンテージについては、槇田さんご自身にも自覚があるようです。
「確かに事故前から、全くテンパらないですし、緊張もしないです。実家の祖父が家具職人で工場を経営してたんで、子どものころから知らない人がたくさん家に来て、その人らに昔から遊んでもらっていたのもあるかもしれない。祖父もそうした緊張しないタイプだったので、血筋としてもあるかもしれないです」
このほかにも槇田さんの職場でのエピソードには、当事者からして「どうして焦らずにいられるのか分からない」というシーンが多いのです。
そんな槇田さんの話を聞いていてなぜか僕が懐かしさを感じたのは、自身が小学生や中学生といった時分の同級生に、同じようにほかのみんなが焦って恐慌状態になるようなシーンでも「テンパらない」槙田さんと同じタイプがいたということです。
状況判断が遅かったり鈍かったりするのではなく、事態を冷静に観察し、淡々と課題に取り組めるタイプ。こうしたタイプはチームスポーツを一緒にやると、一発で分かります。特に目立った身体能力や瞬発力がなくても「そこに居てほしいときに居てくれるやつ」「パス回しがやたらうまいやつ」「いざという局面で指示が飛ばせるやつ」として、チームにひとりは欲しいという、あのタイプです。
病前の経験のみならず、生来のパーソナリティによっても、同程度の障害を持っている当事者の困難が大きく左右されるのは、本冊子で何度か確認したこと。槙田さんの「泰然自若」なパーソナリティもまた、機能的に復職困難に見えても実際に復職してみたら案外やれてしまう属性の典型なのかもしれません。これはまた、新しい発見でした。

インタビュー記事

大規模飲食チェーンの社員として

 28歳の槇田さんは、病前職が飲食業、病後も同じく飲食業に復職されたケースです。


 高校時代から大学(経済学部)の間のバイトはずっと個人経営の居酒屋や喫茶店などの飲食業界を経験してきたという槇田さん。21歳で卒業後は食肉会社に就職し、3年ほど精肉のプロとして加工から販売までを学びましたが、その後再び戻った飲食業界は、精肉の知識が生かせるしゃぶしゃぶのチェーン店(100店舗前後の規模で広域展開)でした。


 転職先の業態はいわゆる「食べ放題店」。バイトスタッフの数が平日なら15人、休日なら20~30人ほどを3人の社員が回すといった規模の店舗に社員として入った槇田さんは、現場ありきな、飲食業界ならではの「研修なしでいきなり現場投入」の通過儀礼を難なくクリアし、店舗の実戦力として活躍します。


 食べ放題店は一般的に客の滞在時間は長く回転率は低いものの、一席の客からの注文頻度・提供品数が多く、しかもしゃぶしゃぶはビュッフェスタイルが取れないため、ホール・キッチン共に、飲食店の中でもかなり多忙な部類に入ります。


「基本的に店長がホールを管理して、残りの社員がホールとキッチンの両方を見ながら各ポジションのバイトのフォローに入るんですが、僕はキッチンの仕事がメインでした。チェーン店なので、食材の7割ぐらいは加工食材の調理・提供ですが、そこそこ忙しかったですね。基本は8時間勤務ですが、冬場の繁忙期は鍋が売れるので残業が月間30~50時間程度。15時出勤で~帰宅が深夜0時以降になることも少なくなかったです」


 精肉業界を経験していたことから、やはり得意なのは肉を切り出すスライサーの操作。そんな中、槇田さんは交通事故を原因に、高次脳機能障害の当事者となりました。再就職から一年後、二〇一八年のことでした。


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