当事者インタビュー - actual story -

配置転換してライフバランスを整えた建築業 Dさんについて


建設業

建設現場の管理職として、あまりに多忙な生活を送っていたDさんは、単身赴任先の戻る前日に倒れます。記憶障害などの後遺症が残り、配置転換をして復職しました。あの頃の生活には戻りたくないと言い切るDさん、病後に得たのはワークライフバランスでした

まとめ

  • 生活のことをほとんど覚えていない!
  • ご飯を食べた?お風呂に入った?そんなことを嫁に聞いていた
    あれ?なんだっけ?の連続で、これはおかしいと気がついた
  • 全然だめだ、このままじゃダメだ
  • これまでの業務を聞かれても、全然、思い出せない
    アイデアが、まったく思い浮かばない
    頭がやたらと疲れる、集中力が切れてしまう
  • やりがいと言うより、やらなきゃな
  • 仕事に戻りたいと言うより、戻らない選択肢が考えつかなかっただけ
    前の仕事にこだわりはない、今の仕事にも納得している
  • 4,5年経ってから、勘を取り戻す
  • 何をするにも遅い、なんだっけ?の連続
    電話が聞き取りにくくて、身構えていた
    入力ミスも多かったし、多重チェックが必須
    病後の自分の写真を見ると、顔つきが違っていて他人みたい

専門家による寸評

言語聴覚士西村 紀子

 脳梗塞、脳出血などの脳血管疾患は、ある日突然発症する。「まさか自分が」「これからの生活をどうしたらいいのか」と、どの患者さんも混乱しているだろうと思っているのは、私だけではないはず。ところが、今回取材したDさんは、深夜まで働き、常に頭の中で仕事のことを考えていた病前の生活には「もう戻らなくていいかな……」と思っているとのこと。この冊子の記事を書いている鈴木大介さんも、脳梗塞で倒れた時に「あ~これで締め切りに追われない」とちょっと安堵したと語っています。アフリカで長年、霊長類学、人間行動進化学の研究をしていた三谷雅純先生も、脳塞栓症で搬送された病院のベッドの上で、「これでやっと、誰に遠慮することなく眠ることができる」と眠りに落ち、そして「仕事をあれこれ心配するよりも、その時はただ眠れることが嬉しかった」と語っています。*1
 こうした当事者の声は、かなり驚きでした。早期離床が推奨される昨今、急性期病院では、「少しでも早く」と、理学療法士や認定看護師が、バイタルチェックをしながら、声をかけ、身体を起こします。でも、実は、多忙な毎日を送ってきた患者さんは「ちょっと休憩だ」という気持ちになっているのかもしれません。
 特に就労世代については、発症前の生活が多忙を極めている人は少なくありません。しかし、脳卒中の主要危険因子も、脳卒中予防10か条も、メタボリックシンドロームや喫煙、飲酒については注意喚起していますが、この「多忙極まる生活」に関することについては触れていません。ネットを使って、どこにいても仕事ができるリモートワークでは、勤務終了時間があいまいになり、いつまでもパソコンの前に座っている、コロナ禍で、そんな生活環境にある人が増えています。「働きすぎ」「睡眠不足」なども、脳卒中の危険因子として、追加してほしいと思います。
 そして廃用症候群の予防のため、早期離床は大切ですが、病前も忙しい日々を送っていたのに、発症直後でさえも、「早く、早く」と追い立てられているように感じている人も少なくなさそうです。「ほっといてくれ」「起きたくない」という態度は、リハビリ拒否というよりも、「今はちょっとゆっくりさせてほしい」という気持ちになっているだけのことなのかもしれません。
*1
http://igs-kankan.com/article/2021/07/001354/

取材から見える事

文筆業鈴木 大介

鈴木 大介

ヒアリングを通じてDさんから感じたのは、倒れた時点での、やり切った感、会社にやれる限り貢献しきった感のようなもの。本企画でこれまで取材した当事者の中でも、最も「穏やかな病後に着地している」のが、Dさんだったように思います。
 元居た企業に復職し、病前の知識や経験を活かして、会社にとって必要な部門に戻ることができる。そしてその仕事の負荷をリハビリとして、回復の道に乗る。これはもう、真似したくても真似できないことの方が多かろう、理想的復職ケースというほかありません。
 ヒアリング後、同様に公共事業を請け負う企業で長く務める方に、Dさんのケースを聞いたところ、「よく頑張られた。むしろ最前線を退くのが少し遅かったぐらいではないか」との言葉。やはり業界の常として、技術屋はまず現場経験、設計監理、その統括と、前線部隊の後方支援と、休みもないような激しい下積みからキャリアを重ねていくのがセオリーで、そうして身を粉にして働く分「少なくとも元請け(ゼネコンや地場の大手建設会社)、一次請クラスの会社であれば、どんなことがあっても社員を守る、古い日本的体質が残っている業界だといっていい。キャリアや技術を持つ者がそれを抱え込むのではなく、積極的に後輩に継承していくことが求められる業界でもあるので、ある程度活躍された後の技術者が倒れられたら、それは喪失とかではなく『勇退』。やっと休めるって感じになるのも分かります」。
 ちなみに倒れたのちのDさんに復職するように指示したのは、他でもないR建設工業の社長だったそうです。
 ただしこの業界で現状の体質を守り続けるのも、そろそろ時代的・企業体力的に限界があるとも言います。昭和から平成末期にかけて元々福利厚生の弱かった下請業者が、末端の常用労働者に対しても雇用保険の加入義務を課された法改正以降、逆に、元請けに近い上流側の企業には合理化の波が押し寄せる中で、福利厚生の余力も減衰してきている側面も否めないとのこと。
 当事者の復職において、職場側に期待できないからこそ、リハビリ職や就労支援の理解の拡大が必要と考えていましたが、障害を抱えながらも会社の理解を得て再び活躍するDさんのケースを見て、改めて企業側へのアプローチや理解促進の重要性を感じました。

インタビュー記事

大手土木系企業と共に歩んで

 日本のインフラを技術力で支える大手土木系企業であるR建設工業株式会社にお勤めのDさん。大学で土木工学を学んだ後、ずっとR建設工業にて働き続け、発症時点では勤続31年というベテランの技術者でした。


「会社に入って5~6年は現場が主体でしたが、発症した時期はちょうど支店に単身赴任をし、技術的な管理と設計をやっておりました。専門は地盤改良がメインで、主に水を止める技術。液状化対策とか。地下にトンネルを掘った時に、何もしなければ水が出ますよね? それをどう止めるかという技術を専門にやっていたんです」


 得意とされていた分野は、設計計画。大規模な公共事業の受注を重要な業態とするR建設工業ですが、その落札の肝となる部分です。


「設計計画、それをすることによって受注に結び付くという面白みがある仕事だった。大きな案件をとったこともあります。仕事の中で一番楽しかった部分は、やっぱり計画で他社に勝つということですね。キャリアですか? たぶんうまく行ったら役職について上に上がっていけたでしょうね。年齢もそれなりの年齢ですから。地盤改良という仕事にも愛着があった。なかったら辞めてますもんねえ」


 1980年に新卒入社してから、会社は二部上場、一部上場と躍進。阪神淡路大震災で地盤改良技術が重視されるようになったことも追い風になって、大きく育つ会社と共に歩んできたDさんでしたが、倒れる直前はかなりの過労状態。管理業務は残業も多く、複雑な利益率を勘案して作らなければならない期日指定のある書類を常に複数抱え、週に二日は徹夜をしなければならないような、頭の休まることのない日々だったと言います。


 Dさんが倒れたのは、そんな激務のさなかでした。


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