環境が良く仕事に戻れたけれど スーパーマーケット勤務 Oさんの場合
健診では何も指摘されなかった
病前は、スーパーで管理職をしていたんです。めちゃくちゃ忙しかったですね。売り上げの確認とかをすると、だいたい9時過ぎまで、職場に残ってました。そこから1時間半かけて自宅に帰る。毎日その繰り返し。健康診断では、何も指摘されることはなかったんですが、時々、血圧が高かったみたいですね。ふらっとすることがあったりして、これは早く病院に行かなあかんなと、ちょっと思ってました。食事もひどかったですね。体は元気だと思ってたんで、休憩時には、揚げ物とか甘いものとか、カップラーメンとか食べてました。それである日、仕事の帰りに、コンビニに寄って、そこで倒れたみたいです。倒れた時に、前歯がぽきんと折れたみたいですが、まったく記憶がありません。急性期の病院では、30日くらいですか、ほとんど寝ていたみたいですね。回復期の病院へ移る時は、てっきり家に帰れるもんだと思ってたんですよ。みんなと話すこともできるし、家に帰ったら普通に話ができて、普通に会社に戻れると思ってたんです。「え? また入院するんか?」ってびっくりでした。でも、病院の先生やみんなに言われて「勉強しないといけないな」と思って。宿題もたくさんもらって、これが今の自分の仕事やなと思って、部屋でも、言語室でも勉強、やってました。
他の患者さんをみて、どんな病気なんかな? とか、自分はどこまでできるんかな? とか、そんな不安が大きかったです。手も足も動くから、これなら仕事に戻れるなと思ったけど、言語が難しかった。先生と話をしても、何を聞かれてるか分からん。「これを先生に伝えよう!」と思っても、なんか話がちぐはぐで。つらい時もありました。絵を見せられるじゃないですか。「包丁」とかの。「これ知ってるやん!」って頭で思っても、言葉が通じない。つらかったけど、勉強しないといけないんで、これはがんばるしかないなと。仕事に戻る準備で、お客さんに声をかけられた時には「サービスカウンターにどうぞ」と言えるように練習をしたのは、とても役立ちました。7年間もずっとリハビリの先生にみてもらっています。今でも会社で困ったことがあったら、相談することもできて助かっています。障害があるから、どうしても僕には問題が付きまとうんですよ。会社の人には報告はしますが、言語の先生は、またちょっと違うんですよ。どうしたらいいのかアドバイスをくれます。当時、言語のリハビリはつらかったけれども、今では感謝しています。
インタビュー記事
ベテランのスーパーマーケット社員として
Оさんのお仕事は、スーパーマーケット勤務。高卒採用されてから実に勤続32年、エリアで、大規模にチェーン展開するスーパーマーケットに勤め続けています。担当店舗は周囲に多くある団地の住民を顧客に、いくつか専門店を抱えた中規模店。農産品や日配品などの売り場経験を重ね、チェーン店本部で総菜部門の研修を受けた後は、バックヤードの加工場で揚げ物や弁当の製造に従事していました。
「リーダーでしたから、調理場に立つという感じではなく、生産数の決定とかシフト管理とかをパートさんと相談しつつやっていたというかたちになります」
Оさんが受傷されたのは、総菜部門の管理職として、こうして活躍していたさなかのこと。失語症と高次脳機能障害を抱えることとなったОさんは、6カ月の入院を経て復職し、まず4時間勤務から1時間ずつ増やして、1年ほどで8時間勤務に戻ったと言います。
とはいえ、色とりどりの商品や入り乱れる店内放送といった情報量過多の空間であるスーパー店内は、高次脳機能障害の当事者にとって、混乱やパニック状態に陥ってしまう方も少なくない、いわば「鬼門中の鬼門」。こう書いている僕自身も、退院直後はスーパーでパニックを起こしてしゃがみ込んでしまった経験が何度もあります。ただし、こうした体験は、不要な情報まで脳が取り入れて処理してしまう注意障害がベースになるものが多いのに対し、Оさんのケースでは「注意機能そのものが全般的に限局されていた」(極めて狭い範囲・少量の情報しか脳に取り入れられない)ことで、その職場に戻れたようだと、当時の医療関係者。
そんなОさんの復職も、やはり決して平坦な道のりではありませんでした。
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