仕事を再開したら「なんでこんなこともできない?」にシステムエンジニア Kさんの場合

できない自分を責め続ける日々のKさん
インフルエンザ脳症による記憶・遂行機能障害を抱えながら元のお仕事にもどったKさん。
高度な知識と技術を要求される業務だけでなく、メールのやり取りなどにも困難さがあり、様々な壁にぶち当たり、心がつぶれそうになってしまう。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

 脳損傷の後遺症は、「身体」「認知」「心」と言われている。言語聴覚士はこの「認知」の中でも、主に言語機能に関わる職種である。しかし、医療・介護・福祉行政の中で、「身体」にくらべて「認知・言語」は軽視されていると、常々問題に思っている。「言葉による困りごと」が全然、反映されていない。麻痺よりも、コミュニケーションが難しいことの方が、社会的自立を阻害しているのにと、言語聴覚士としては、いつも歯がゆく思...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

 今回のヒアリングで改めて感じさせるのは、Kさんのような高度専門職を相手に、支援職がどのようなアプローチが可能なのか、という課題です。

 システム開発の中下流全域をカバーするなどといった知的ワークについて、実務レベルでの具体的支援介入が極めて困難なのは、

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インタビュー記事

全部ひとりでがウリだった

 小学6年生でパソコンを触り始めてから、プログラマー一筋。病前のKさんは、個人事業主のSEでした。大学在学中からプログラミングのバイトをはじめ、ソフト屋に就職。何度か転職はあったものの、基本的には小売業の受発注から会計までを一括で管理する社内ソフトの開発に携わり、開発後の従業員指導なども業務範囲だったと言います。個人事業主として独立したのは、30代半ばのことでした。

「僕の独立と同時に、最初の職場で同僚だったTも独立してソフト屋を起業したんです。以降はずっと一緒に仕事をしていて、仕事の半数近くがTと組んでやるものでした。Tの担当は、顧客の開拓から、必要なソフト開発の要望と仕様決定を大まかにヒアリングして、進行、予算関連までに渡るマネジメント業務。僕の担当は、顧客と関係性ができた後。現場レベルでの細かいヒアリングを直接相談しながら、実際のプログラミングをすること、その後の納品、実際に使ってみての障害対応や細かい仕様変更、新規機能の追加や保守運用なども含め、全部僕の独り部隊で回していました」

 通常ソフトウェア開発といって想像されやすいのは、大きな企業が発注するシステムに、何社ものソフト屋やSEが参加して、分業制でシステム全体を構築してスタイルでしょう。一方でKさんは、ソフトウェア開発の中流から下流までを、一切外注することなく全部おひとりで担うスタイルで、それを15年以上続けてきました。

「現場と関係性ができた後は、ごっそり全部ひとりでやれる。何か障害があった場合の対応、保守やバージョンアップも、ひとりでやってましたね。逆に自分以外には誰にもできないという感じ」

 それが病前のKさんのウリ。けれどその守備範囲の広さと、パートナーであるTさんがKさん以外のプログラマーを抱えずに、実質二人チームでずっとやってきたことが、高次脳機能障害の当事者となった後のKさんにとって、大きなマイナス要因になったかもしれません。

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