不自由への対策が自社商品に 社会保険労務士 Yさんの場合

信号無視の車に巻き込まれ脳にダメージを受けたYさん。ようやく仕事が軌道に乗り出した矢先のことでした。「障害が残る」と言われず「いろんなことが変わるけど、それは脳が回復している証拠、心配しなくていいよ」と説明した主治医の言葉が、その後の彼を救います。

専門家による寸評

言語聴覚士西村紀子

 かつて重度の高次脳機能障害者を介護している家族さんに、「私たち医療者に何を望みますか?」と聞いたことがあります。答えは「希望を持たせてほしい」でした。今回の取材で、心にぐっと来たのは「希望をつなぐ」ことの大切さです。高次脳機能障害とは聞いていなかったYさんは、未診断と言えるかもしれません。主治医から言われたのは「脳は回復していくんだよ。脳の他の部分が代償していくから。できていたことができなくなる...

専門家による寸評

文筆業鈴木大介

 お話を伺った後、つくづく考え込んでしまうテーマの多い、Yさんのケースでした。

 まず浮かぶのは、Yさんが受傷時に高次脳機能障害の診断を受けて復職に際しての支援職の指導を十分に受けられていたら、「いまのYさん」になっているだろうか?という問いです。

 記憶面や遂行機能に不自由を抱えるYさんに対して、マルチタスクを可能とするような基本的な工夫を伝え...

インタビュー記事

仕事を失いたくないと焦った

 社労士(社会保険労務士)とは、社会保険や労働関連の法律の専門家。Yさんは、資格を取得後、いわゆる社労士事務所に所属するのではなく、友人の社労士と共に自分たちの社労士事務所を起業。交通事故で高次脳機能障害の当事者となったのは、独立から2年、ようやく仕事が軌道に乗り始めた時期のことでした。

「ようやく顧問先が4件ぐらいできたのに加え、やっと安定した大口の仕事として労務士関係のセミナー事業を依頼されて立ち上げたばかりというタイミングでの事故でした。なので当時はとにかく、事故に遭ったことをひた隠しにしなければならない、この仕事を失うというのは考えられない、『これはしまった!!』と思いました。どうやってこれをごまかそう?バレたらまずい! という焦りが一番だった」

 社労士としてのキャリアは始まったばかり。しかも友人と二人で経営する個人事務所で、確かにこれは大ピンチ。時代はIT導入以前で、顧客に呼ばれたらすぐに訪問し、手続き業務などを受けて役所に走るといったフットワークが前提だった頃です。入院していることを知られるだけでも、せっかく開拓した顧客を失いかねない状況の中、Yさんの復帰への道は始まりました。

「その時点では、自身に後遺症があるというのは分かっていなかったんです。けれど、入院中の段階から、ヤバいという感覚はありました。例えば、特定の声質の人の声で、猛烈に感情が乱されて、衝動的になって抑えられない。他に、病棟で渡されたアンケートに記入して、あとで見ると『あれ? 俺こんなこと書いたん?』となる。全然間違ったことを書いていて『なんでこんなこと書いてるんだろう』ってなることもありました。また、文章を読もうとしても、焦点が合いにくいというか、一つの行に集中するのが難しくて、パって頭の中の思考が飛んでしまうような……。物事がうまく記憶できない、仕事が遅くなる、作業がとまる等々、能力がどのぐらい低下しているか分からないけれど、顧客にバレるバレない以前に『これは業務に差し障りがある。何か能力開発的なことで対策しないと』みたいなことを思ってました」

 とはいえ、関わった医療機関からは「高次脳機能障害」の診断はなし。リハビリテーション指導も一切受けずに、退院と復職に至ったYさんですが、こうした自身の不安から、病棟にいる段階で、すでに自主的なリハビリに入っていました。

「携帯電話に入れるゲームアプリで、子供向けの脳トレを目的としたゲームを始めたんです。入院中から2年ぐらいの間、暇があったらやっていた。フラッシュカードとか、数字や映像を憶えることを繰り返すもの。記憶については、病棟にいる時にマインドマップ*1の本を読んで、忘れてはいけないことをできるだけ端的にノートに書くことを始めました。僕にとってはノートが脳みそ、ノートが記憶。端的な単語でキーワードだけでも書き残しておけば、人間はそれをとっかかりに記憶が思い出せるんだと知って、本当に救われました。これは退院後にもセミナーを二回ぐらい受けに行って、形を変えながら今に至るまで16年間続けています」

 こうしてYさんは、事故から二か月ほどで、基本的には自助努力のみの状態で復職します。事務所は病前通り、一緒に起業した友人の自宅の一室、業務は10時から19時、いきなりのフルタイム復帰でしたが、顧問企業への対応は友人が代行してくれ、Yさんが中心になって立ち上げたセミナー業務についても。講師業務は幾人もの講師に頼むことができたため、それほど大きな失敗経験をすることもなかったとYさんは言います。

「友人がたくさん仕事の肩代わりをしてくれたし、顧問先企業もまだ少なかったのが幸いしました。実際にはその後、たくさんの人に迷惑をかけ、支えられていくことになるんですが、当時は、そもそも自分に障害があるとは思っていないし、仕事のスキル的な部分にものすごく限定的な問題があると感じていたに過ぎないんです」

 実際にYさんが自らの障害特性に困難を感じだしたのは、再開した事業も軌道に乗り、従業員も増え始めてからのことでした。

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