ショートスリーパーに憧れていた 印刷業 田仲さんの場合
めちゃくちゃな働き方
たしかに、めちゃくちゃな働き方をしていましたね。営業だったので、外回りをしている時にトイレに行きたくないので、水分はなるべく取らないようにしていました。当然、帰りが遅くなる時は外食です。おまけに仕事以外でも、ボランティアや趣味などで忙しく、睡眠時間は少なかったです。でも、それが楽しかったんですよ。ショートスリーパー、寝なくていいならその分、活動時間が増えるやん! って憧れていました。
ある日、宴会の時に倒れたんです。救急病院に運ばれましたが、意識はしっかりしていました。お酒を飲んだあとなので、おしっこがしたくなったのですが、その言葉が出なくて看護師さんに伝えるのに必死でした。かけつけてきた妻に「財布」と言いたかったけど、言葉がなかなか出なくて。ようやく伝わったらぐってりでした。
一般病棟に移ってからは、五十音表をもらって、練習していました。たいてい2回目にはめちゃくちゃ疲れて、ぐってりでしたけど。でも、楽しかったですよ。できることが増えていくという、あの感覚が久しぶりですね。もうこの年齢になると、できるようになることってないじゃないですか。どんどんできることが増えるって、若い時しかないですよね。でも、今がそう。今日は小学1年生、次は2年生って感じで、できることが増えていくのが嬉しかったです。
仕事には、半日勤務から始めて、慣れていくって感じでした。でも、その時はたいした仕事は何もしていませんね。病前の事務処理をしたり、営業の記録をつけたりとかでした。電話には出ないようにしていました。うまく対応ができないのが分かっていましたから。それまで音楽を聞きながらの「ながら族」だったのに、それが全然ダメになりました。雑音がどんどん入ってくるんです。複数の人と話をすると、必要な情報が拾えない。拾えたとしても、すぐにダウンしてしまう。これにはびっくりでしたね、病院では気にならなかったのに。
ここ数か月は、頭の中で浮かぶ考えを、全部しゃべろうとすると、口の動きがついてこないのが悩みです。もともと早口なんです。PCもキーボードを打つ速度は改善してきたけれど、頭に浮かぶスピードでは打てないので、歯がゆい感じがしますね。頭の回転が速くなったからこその悩みでしょうね。
3年も経ったし、もう改善しないだろうと思っても、まだ、少しずつでも回復してることがわかる瞬間があるので、うれしいですね。
インタビュー記事
【特殊印刷20年】
田仲さんの病前職は、印刷業。一般的なオフセット印刷の製版会社で10年。その後は箔押しをはじめとする特殊印刷を得意とする印刷会社(分類としては製造業だそうです)
で、オペレーター(技術職)を長年続けた後、倒れるまでの3年ほどは営業部の係長として、睡眠時間4時間前後という多忙な職業人生を送っていました。
麻痺が軽かったのもあって、入院は2か月ほどで、お勤めの会社の専務が管理部の社労士と話してくれたようで、まずは午前中2時間の時短勤務からお仕事に戻った田仲さんでした。
元々副業としてデザインや雑誌に依頼されてのイラスト制作などの副業をしていた田仲さんは、会社に戻る前にはご自宅でその副業を再開しましたが、それら副業の仕事の質には病前とあまり変化を感じなかったそう。
けれども会社に戻る中で、まず困難に感じたのが、電話対応をはじめとする「音の問題」でした。
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